わずか数日で別次元
昨日はデザイン生成ツールのLayermateについて書きました。それを使う中で僕はAIを治められる気がしないと締めくくりました。それは、否が応でも、安きに流れるという原則があるからです。たとえ、頭では「AIを必要なところで使って、空いた時間をもっと有意義なことに使おう!」と思っていても、実際そうできるとは限らないのが人間です。
ここ数年のAIの進化は異常です。わずか数日で別次元に変わっているというような状況です。「士別三日、当に刮目して相待つべし」とありますが、これは人に対してではなくてAIに対してこそ本当に事実を表しているように思います。
AIが奪い取るもの
ここ数年AIを使う生活をして確信したことがあります。自分は今後もこれからもAIを使いたい欲望を抑えることはできないということです。これまでも文明の産物は多くありました。しかし、それらはあくまでもツールであり、使われるものでした。人間がそれらを使って、頭を使い表現し創造し生み出してきたのです。あくまでも主は人間にあったのです。
しかし、AIは人間から頭を使い表現し創造し生み出すことを奪い取ってしまいます。それは仕事を効率的にして楽にする側面を持っていますが、本質は人間から頭を使い表現し創造し生み出すことを奪い取ることだと思います。
間違った自信をもたないように自分を律する
僕が自分自身に対して恐れることはこうです。いずれは自分で考えられないようになり、言われるがままに流されていくようになるということです。僕みたいな成人男性でさえもわずか数年使っただけで頭の使い方が変わるということは、デジタルネイティブならぬAIネイティブ世代はなおのこと、そうなる傾向が強くなるのではないかと思います。
僕はここで自分は意思が弱いからAIによって考えることを奪われるんだと悲観的になりたいわけではありません。むしろ、自分はAIを使いこなせると間違った自信をもたないように自分を律するために書いています。
自分で
AIを使う以上は、AIから離れる生活も必要になると思います。簡単に文章が生成できる時代から自分で文字を書く。簡単に検索できる時代からあえて図書館に行って検索する。AIに聞いて回答を得られる時代から自分で1冊の分厚い本を読む。そういったことをしてAIに抗うことが自分にできることだと思っています。