内側からの問題
今は、通読でサムエル記下を読んでいます。この箇所を読んでいて思うことがありました。それは外敵の脅威がなくなったら内側から問題が起こってくるという原則です。
ダビデが王になったあとも、引き続き敵を制圧するためにダビデは戦争に出る必要がありました。しかし、右腕である将軍ヨアブに任せてもなんとかなるような状態になった時から内側から問題が起こってくるのです。内側から起こる問題は実に悲惨です。それはバテシバの罪からはじまります。そして、ダビデの長男が三男に殺されます。そしてダビデ本人は三男に裏切られて命を狙われる身にもなります。
共通の敵に向かって一致団結
国は共通の敵に向かって一致団結するほうが強くなります。歴史を見ても国内の経済が悪くなった時に戦争が起こる確率があがります。それは内憂の鬱憤を晴らすために外に目を向けさせるからです。しかし、外の敵がなくなるとより厳しくなります。それは内々になるからです。そして、国内での相互批判や政治にいそしむようになるのです。
外患内憂もきついですが、それ以上にきついのは外患がない状態です。
すぐに揮発するように
これを現代の教会に適用するとどうなるでしょう?それは外向けに失われた魂を獲得するという福音宣教の情熱が失われたら、教会は間違いなく内々になってしまうということです。指導者を批判し、兄弟姉妹の欠点をあげつらい、小さな教会内で満足するための信仰になってしまいます。
これは僕自身気を付けないとだめだと思っています。なぜなら、聖霊によらなければ福音宣教の情熱はあっという間になくなってしまうからです。アルコールを垂らしてもすぐに揮発するように、聖霊に満たされ続けないと福音宣教への情熱はすぐに失われてしまいます。
福音宣教の情熱はありますか?
僕は普通に信仰生活が送れているように思います。じゃあ、「福音宣教の情熱はありますか?」と問われたら答えに窮します。なぜなら、僕の福音宣教熱はばらつきがあるからです。ある時は燃えるがある時は冷めるといったものだからです。
もう一度、書きます。僕は今、普通に信仰生活が送れていると思っています。しかし、その実は、0.99999999にx乗をかけ続けた結果、あっという間に限りなく0に近づくようなものかもしれないと思いました。仮に、1.0000001でもいいです。1よりも少し大きい福音宣教の情熱さえあれば指数関数的にますます燃やされていきます。