1419_詩編119篇105節

詩編119篇105節

先日聖書を読んでいて教えられたことをシェアしようと思います。聖書箇所は詩編119篇105節です。

あなたのみ言葉はわが足のともしび、 わが道の光です。
詩編119篇105節

僕はこれまで何度もこの聖書箇所を読んでいましたが、「ともしび」という言葉をあいまいに捉えてしまっていました。ともしびとはなんとなくランプ的なものであるとは理解していたのですが実際に画像で確認することによりより理解が深まったと感じました。

「ともしび」とは?

今回生成AIに当時の「ともしび」を生成してもらいました。生成AIは時にとんでもない間違った画像を生成することもありますが、このともしびは確かに聖書の挿絵などでみたことがあり再現度が高いと感じました。当時のともしびは陶器で作られており、オリーブ油によって火が灯されていたようでした。


この2枚目の絵でわかることは、真っ暗闇の中で「ともしび」は限られた範囲しか照らしませんが、確かに足元を照らし一歩一歩を導くものだということです。これは日々の日常で聖書の言が、教え、戒め、正しくし、義に導くことと同じだと感じました。

ヨハネの福音書

次は「わが道の光」についてです。光はともしびとは違い、道の全体、あるいは先の方まで照らすことができます。この光に関してはヨハネの福音書の冒頭に解説が書かれています。

「神はことばであった」、「神は光で合って少しの暗いところもない」、「すべての人を照らすまことの光」

つまり、「みことばはわが道の光」というのは、主イエス様ご自身が私達と共にいてくださって光で照らしてくださるということだと思います。では、我が道の光とは具体的にどのようなことなのでしょうか?多くの詩篇を書いたダビデは別の聖書箇所で困難な状況下で「神によって自分を力づけた」と書かれています。

悩みの日にわたしを呼べ

彼は困難な時、自暴自棄にならず諦めませんでした。また有能な誰かに頼るということもしませんでした。人生の暗闇の中で、彼は一人神の前に出て求める中で祈りの中で神から力を頂くことをしていたのです。聖書にはこのようにあります。

悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、 あなたはわたしをあがめるであろう。
詩篇50:15

もしかしたら、誰でも人生の暗闇と思えるような困難、試練、苦難があるかもしれません。しかし、悩みの日に主に助けを呼び求める時に主が光となって人生を照らしてくださるのだと思いました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)