イヤホンの充電
先日、Bluetoothのイヤホンを一晩充電して、翌日出勤時に音楽を聴こうと思ってイヤホンを耳に突っ込みました。朝日が眩しい朝にふさわしい爽快な音楽が流れると思いきや、女性の外人の大きな声で「Low battery, please charge.」という音声が流れて、充電できていないことが発覚し、非常に残念な気持ちになってしまいました。
その後、充電できている日もあったので、特に気にしていなかったのですが、最近立て続けに充電できていない日が続いていたので、確認してみると、どうもイヤホンとケーブルの接続不良が原因のようでした。通常ならば、赤く点灯するところが、光っていなかったのです。
それを見た時に全く自分と同じだと思いました。外見上は、コンセントにささったケーブルがイヤホンに繋がっていて、充電できているように見えますが、実際は少しも充電できていなかったのです。
自分自身の充電
というのも、気をつけないとクリスチャン生活は形式主義に陥ってしまう可能性があることを最近すごく実感していたからです。聖書は読んでいる。祈っている。ただ、気持ちが上の空という場合が結構あるのを感じていたのです。
僕はクリスチャン生活に教会生活は欠かせないと考えていますが、教会生活も形式になってしまうと、キリストとの個人的な関係が一方的によそよそしくなったり、聖書の本質からずれてしまう可能性があると思いました。
充電されると
僕がもっているイヤホンは正しく接続されると赤く光るようになっています。同じようにイエス・キリストに繋がっているとキリストから与えられている心の光が灯ります。そして、イエス様がこのようにおっしゃったように、実を結ぶ生き方ができるようになります。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
ヨハネ15:5
充電されていないイヤホンが「Low battery, please charge.」と叫び、イヤホンそのものの機能を全く果たせないように、クリスチャンとして、何の役にも立たなくなってしまうのです。
アクション
今年はだいぶ久しぶりにカレンダーどおりに祝日があるので、形式のクリスチャン生活ではなくて、イエス・キリストと向きあい、再びキリストの光を心に灯してもらおうとおもいました。教団主催の特別集会もあるので、ZOOMでの参加になりそうですが、3日間、主に集中する時間をもうけて、「僕はLow batteryです。 please charge!」と叫ぼうとおもいます。
■キリストにつながる時に心に光が灯される