0625_ふとしたことで一瞬にして恵みからもれてしまう

恵みの中を生き続けること

最近、よく思わされているのは「恵みからもれないように」ということです。キリストを心の中にお迎えした者は神の恵みよって生きることができます。この恵みによって生きるということは、一見簡単のように思います。しかし、現代を人間にとっては理解しにくいことであり、また決してたやすいことではありません。これ以上もないほどにシンプルな真理であるにもかかわらず、恵みに生きるのは簡単なことではないのです。

その難しさは聖書を読めばわかります。新約聖書を読めばイエスキリストに躓いた人たちがいかに多かったかを知ることができます。また、現代の教会においても一時はキリストを心に受け入れたとしても恵みに立ち続ける人はそれほど多くないという現実があることを知ります。

あの人がどうとか、この人がどうとか、関係なく、僕自身も気をつけないと恵みからもれてしまい、いつしか、この信仰のマラソンから脱落する危険性があるのです。

なぜ恵みからもれるのか

それはまず人間が高ぶりやすい人間だからです。最初は恵みの中で生きることができていたとしても、気づかないうちに、自分があれやこれができているから自分が神様に受け入れられていると勘違いすることが割と多くあるものなのです。

次に人間は自己中心的だからです。イエス・キリストがこの地上に来られた時、その恵みの真理を受け入れた人は多くありませんでした。それは、彼らのこれまでの自分の努力、経験、家系などがすべて否定されるためです。これまでの人生で積み上げてきたものは関係なく、神の一方的な恵みによって生きることができるということが理不尽に感じたのだと思います。一言でいえば、自分が何よりも大好きで大切なのです。

恵みからもれる出来事は日常生活に満ちている

内省的に生きることができていると思っていても、何か自分に刺激があった時に、恵みからもれるかどうかを試されます。具体的に言うと、普段は仕事が与えられていて感謝と恵の中で生きることができていると思えていたとしても、例えば、自分がやりたくない仕事や嫌な仕事をお願いされた時に感謝して恵みとして受け入れることができているかということです。

普段は教会生活で感謝と恵みの中で生きることができていると思っていても、奉仕が嫌だと思ったり、誰かに対して不平不満を抱くように思ってしまった瞬間に恵みからもれてしまいます。なぜなら、イエス・キリストは感謝と恵みに溢れておられるお方なので、あれが嫌だとか、義務とか、不平不満だとかは一切ないお方だからです。それはイエス様の十字架の上での発言にすべてが現わされています。

現状の対応方法

僕自身は刺激が入った時に自覚して、その度に恵みからもれないように生かせてくださいと祈ることしかできません。高ぶらず誇らず、自己中心的にならず、恵みの中を生き続けることができますように。

おっさん
■人間はそもそも恵みからもれやすい者だからこそ、主イエスに頼って恵みの中を生きたい

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