昨日の説教
今日の説教では第一ペテロの一章から語られました。ここは主任牧師の先生がシリーズで語ってくださっていて、毎回多くの霊的な糧と学びを得られています。今日は書き箇所から語られました。
従順な子供として、無知であった時代の欲情に従わず、むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。聖書に、「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。
ペテロⅠ1:14-16
キリストの生き方
クリスチャンは「キリストのように生きる」という超絶ハードルの高い生き方をするように求められています。キリストは寛容で、情深くて、妬むことがなく、高ぶらず、誇らないお方でした。さらに無作法をせず、自分の利益を求めず、苛立たず、恨みを抱かないお方でした。
仮にイエス・キリストが山にこもって人間関係を断ってそのような生き方をしていたのであれば、なんとなく理解できる気がします。しかし、イエス・キリストは現代では想像もできないほどの濃厚な人間関係の中で生活され、さらに外部からの強烈な攻撃の中においても、愛の生き方をされたのです。
自分の生き方
そう思うと、自分にはそんなことできないと思うかもしれません。それは正しい反応だと思います。自分にはできませんが、主にはできると信じていきるのがクリスチャンの生き方です。
それは、聖められることに関しても同じだと思います。僕自身は自分の心は汚い、考えていることが腐っていると思っています。自分が自覚して嫌に思うくらいひねくれているからです。そこから救われたいとずっと思っています。
信仰を働かせること
しかし、僕が知っていることがあります。真の悔い改めが前提にあり、「わたしではなく、あたなにはできます。」と信仰を働かせるならそれができると信じています。
もちろん、今は、打率は著しく低いかもしれません。スポットでしかキリストのように生きられていないかもしれません。今は自分で生きている時間のほうが長いかもしれません。しかし、主により頼んで、この打率を上げられるようにと祈っています。
きかれる祈り
打率を上げるための祈りなのですが、昨年末からとても効いている祈りがあります。
今日もあなたの恵みの中を歩ませてください。
今日もあなたの恵みの中を生かしてください。
今日もあなたの恵みによって仕えさせてください。
もし、主の恵みの中にいるのであれば、高ぶることも誇ることもありません。もし、主の恵みに留まりつづけているのであれば、不作法もしないし、自分の利益も求めず、苛立つこともないでしょう。すべてイエス・キリストの十字架の恵みに詰まっているのです。
もし、主の恵みによって主に仕え、家族に仕え、教会に仕え、上司に仕え、同僚に仕えることができれば、愛の生き方ができると思うのです。