2年ほど前に島根半島にある出雲日御碕灯台へ行き、初めて灯台を間近で見ました。セルリアンブルーの空に映える真っ白な灯台は圧巻で、美しい景色に胸を打たれました。昨年は和歌山県にある友ヶ島(別名ラピュタ島)へ行った時も断崖に灯台があり、その存在感に圧倒されました。
灯台といえば、演説やセミナーなどでよく下記のような小話が使われます。都市伝説とも言われており、実際にこのような事象が発生したかはわかりませんが、非常に示唆に富んだ小話です。
俺が偉いんだと言わんばかりのアメリカ軍艦は、まさに自分のようです。「俺が俺が」の自己中心の精神で、完全に自分が正しいと思っています。しかし、この場合、正しいのは灯台ですので、最終的には自分が譲歩しないといけません。
以前は、灯台なる存在を知らなかったときは、目指す方向もなく、ふらふらと「的外れ」(ギリシャ語で「罪」の意味)な生き方をしていましたが、神の慈愛と博愛とが現れた時に、「方向転換」(ギリシャ語で「悔い改め」の意味)をして、昨日も今日もいつまでも変わらないキリストを目指すようになりました。
自己中心から神中心の生き方へと視座を神様に移すことですが、僕自身は自己中心の塊であることを知っています。ですので、世の光として輝けるようにキリストに心の中に住んでいただけるよう求め続けます。
あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
マタイ5:14-16(口語訳)