高校時代の記憶
先日、部屋の掃除をしていたら、ハイスタンダードの「AirJam2011」のDVDが出てきました。このDVDは僕が2012年に中国に行く前に高校の時のバンドメンバーがプレゼントとしてくれた物でした。DVDを観ながら何千回も聴いた曲を体で感じながら、高校時代の透明感のある青春や若さゆえの起伏のある喜怒哀楽が思い出されてきました。
僕の青春そのものであったハイスタが約11年ぶりに開催したライブが感慨深かった以上に、それらの曲と過ごした友達との時間やその曲を一緒に練習してライブをした時の大切な時間が宝物のように思い出されたことがとても嬉しかったです。
その年齢ですべきこと
「その年齢でしかできないことがある」というのは、これまでの人生でも大切にしてきました。意識が未来や過去にもっていかれすぎると、今すべきことが曖昧になってしまいます。遊ぶことも、学ぶことも、海外に行くことも、家族と過ごすことも、教会のことも、必ず、その年齢でしかできないことがあります。
もちろん、どの年齢になっても、ある程度どんなこともできると思います。年をとってからも海外で住むこともできますし、大学で勉強することもできるでしょう。しかし、良くも悪くも、感性や感受性、経験は年齢とともに変化するので、その経験から得られるものが変わってしまうことは認めざるを得ません。
後悔のないように今を生きる
僕の場合、もし高校の時に、バンドを組んでいなかったら、あのような刺激的で興奮に満ちた毎日はなかったと思います。今頭の中にある美化された透明感のある青春もなかったと思います。もし、2011年に中国に行く意思決定をしなかったら、その後中国に行く意思決定はできていなかったかもしれません。リスクを恐れて行動しなかったかもしれないです。
だから、いつでも、過去を振り返った時に、あのことをしといてよかったと後悔がないように生きたいと思っています。幸いなのは、創造主である神様を認めて、委ねる生き方ができると、自分で決めていると思っていいても、実は神様の大きな手の中に握られた存在であることがわかります。自分では、あれかな?これかな?この道が正しいのかな?と思っていても、主は必ず正しい道に導いてくださっているのです。
主を恐れる人はだれか。主はその選ぶべき道をその人に教えられる。
詩篇25:12
■主を恐れる人は主がその道を導いてくださる