息子の体調不良
今週の日曜日から息子の体調が悪くずっと保育園を休んでいます。数週間前からずっと鼻が垂れていて様子がおかしいなと思っていたのですが、急に熱が39度台まで上がったのです。翌日近くの病院に行きましたが、コロナ陰性、インフル陰性で、おそらくただの夏風邪だろうと判断されました。
一時的に解熱剤で熱は下がるものの、39度台が2日ほど続いていました。そして、昨晩はとうとう40.7度まで上がり、これはよろしくないと思いました。夜遅かったこともあり近くの病院は既に閉まっていたので、車で20分ほどのところの小児救急に連れて行きました。
小児救急へ
車に乗せる前には泣きながら嘔吐を繰り返していて、病院についても待合室で嘔吐をしていました。初めて見る我が子の苦しむ姿を見て胸が張り裂けるような気持ちになりました。やれることはやってあとは祈るしかないと思いました。
診察を待っている間、外に出て祈ることにしました。最近はなぜか心身魂ともに疲れていたので、御言によって宣言の祈りはしたいとは思いませんでした。そういうのはちょっとしんどいとすら思っていたのです。そこで、言葉にならない声で自分の霊を注ぐ気持ちで主に祈りました。
祈れないときでも
20分くらい外に出て空を見ながら祈りましたが、霊を注ぎだす祈りができてよかったと思いました。たとえ祈れないときでも、主の霊が祈らせてくださることを体験しました。そして、息子を迎えに行きました。
診断の結果はRSでした。保育園の同じクラスでRSが流行っていたので感染したようです。とりあえず、解熱剤などの薬をもらって様子を見ることになりました。
なぜ主の愛が必要なのか
こんなことを書くと僕の人格を疑われるかもしれませんが、僕は夫として妻を愛する愛はありません。また父として子供を愛する愛もありません。もちろん、人並みに愛することはできると思います。しかし、本当に犠牲を払って自分の利益を求めずに自分を完全に捨てて妻を愛するという愛はないです。それはこどもに対してもそうだと思います。
だからこそ僕には切実にイエス様の愛が必要です。もし、その愛がなければ結婚生活も子育ても、あるいは仕事も、あらゆる人間関係もうまくいかないでしょう。20年ほど前に救って頂いたから、今があります。今日も、そして明日も主だけに頼って、主の愛を受けて生きていきたいです。