4ヶ月ぶりの銭湯
先日だいぶ久しぶりに銭湯に行きました。過去に銭湯ネタを書いていますが、おそらく今年は3月以降振りの銭湯になりました。
前回3月は自分の中で4月からの新しい年度に不安を抱いていました。もともとキャパがペットボトルのキャップ並みに小さいので、やることが増えてくると一気にオーバーフローしてしまいます。さらに、一人の時間がどうしても必要なタイプなので、本当に4月から乗り切れるか不安を抱いていました。
銭湯は祈りの場所
そんな時、一人になって祈りに集中できる場所は銭湯でした。もちろん、家の自分の部屋でも祈れるのですが、ここぞという祈りをする時はスイッチを切り替える必要があります。そこは人があまりいない銭湯なので、声を出して祈っても問題ないのです。湯船に浸かっている時だけでなく、サウナや露天風呂のいる時に祈ります。
湯船に浸かっている時は、お湯の流れる音以下の声、露天風呂は女湯に人がいるかもしれないので、控えめの声で祈ります。しかし、サウナは完全個室なので、どれだけ大きい声を出して祈っても問題ないのです。僕は今は福音派の教会にいますが、バックグラウンドはペンテコステ派なので、比較的声量簿ビューミーな祈りが標準になっています。
声量のある祈り
そこの銭湯にはサウナの猛者が一人いるのですが、先日は珍しくいなかったので、個室で声を出して祈りました。だいぶ久しぶりの感覚でした。家では自分の部屋があるとはいえ、そこまで大きい声では祈りません。昨日は以前いた教会の祈りの雰囲気が再現されていたように思います。
もちろん、祈りに関して言えば「声量」は全く関係ありません。声が大きかろうが小さかろうが神様にとっては関係ありません。しかし、僕の場合はパンクロックのバックグラウンドも入っているので、自分の心の内なる思いを神様に打ち明ける時の表現として、ある程度の声量は必要になるのです。ある人は無言で、ある人は切なるうめきをもって、ある人は大きい声で祈るでしょう。
祈りのこたえ
銭湯での祈りを通して、自分の中で力が入っていた部分が削がれたと思います。神様がなんとかしてくださるという信仰的でありつつも抽象的な答えではなくて、明確に具体的な答えを与えてくださいました。この連休はいろいろありますが祈って乗り切ります。