0805_悲しみの通園時間は、喜びの通園時間となった

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新しいこと

最近、こどもを保育園に送りに行くようになりました。僕は朝に強いほうではないので、この新しい業務を果たしてこなせるものかどうか心配していました。こどもに日焼け止めを塗ってあげて、ヘルメットを被せて、靴を履かせ、自転車に乗せてシートベルトをします。これら一連がスムーズにいくこともあれば、自転車に乗ってくれないこともあるので、焦ったりもします。

次に自転車に乗せて保育園までの10分の道のりを行きます。朝は交通量が多いので、飛び出しや自転車などに細心の注意を払いながら園まで送り届けます。

通園で感じたこと

着いたら完了と思いきや、もちろん、シートベルトを外して、ヘルメットを脱がして、自転車から下ろし、通園のQRをカメラにかざし、荷物を持って部屋まで行きます。おむつを補充したり、着替えの服を入れたり、連絡帳を渡したり、体温を先生に伝えたりと、僕にとってはやったことのないことばかりで何かが抜けている気しかしません。

しかし、そんな新しい業務の中でも幸いなのはこどもが楽しんで保育園に行ってくれていることです。

初日は大泣きしました。親子ともに心が折れてしまいました。僕は保護者としては想定よりも早く保育園に行かせることになってしまって申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

イエス様が共におられる確信

しかし、神様が確かにこどもとともにいてくださって、3日目には泣かずにお別れをすることができるようになりました。そして、園のお友達に関心をもち先生が大好きになり、家で過ごすだけでは感じられなかった体験を楽しんでくれているのでした。

親離れ、子離れですが、幸いなのは、親子が離れたとしても、イエス様がともにいてくださるという安心感です。イエス様は僕と共にいてくださっているように、赤ちゃんのようなまだ自身では主を求めることができないような存在であっても共にいてくださることがわかりました。

恵みの通園時間

以前は悲しくてつらかった通園が、ぼくたちにとって幸いな時間となりました。それは二人で自転車に乗りながら、色々おしゃべりしつつ、僕が覚えた御言をこどもにきかしてあげることができる時間になったからです。その時、その時で暗唱する御言は違いますが、この御言は必ず聞かせるようにしてます。

わたしは、かわいた地に水を注ぎ、
干からびた地に流れをそそぎ、
わが霊をあなたの子らにそそぎ、
わが恵みをあなたの子孫に与えるからである。
こうして、彼らは水の中の草のように、
流れのほとりの柳のように、生え育つ。
イザヤ44:3-4

こどもはイエス様にお捧げするのが一番、安心安全です。

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