1564_④試練の中において[天国に行った時に適応できるか?]

正常に育っていない

試練の中で教えられたことを書こうと思います。5月上旬におなかの中にいる赤ちゃんが正常に育っていないことがわかりました。どうも尿道が閉塞しており、膀胱におしっこが溜まっているようだったのです。その結果、おしっこが排出されないので、尿管や腎臓へと尿が逆流してしまい腎臓に嚢胞ができてしまいました。

さらに、通常であれば尿道から排出されたおしっこが羊水になるのですが尿道が閉塞しているので羊水がなくなります。そうなると肺低形成になります。また飲む羊水がないので肺が成長しないというのです。

おなかの中で正常に育たないと

大きな病院を転々としましたが、結論、打つ手なくそのような状況で生まれるまで待つという状況になりました。その中で思ったことがあります。それは、おなかの中で正常に育たないと生まれてきてから、この世界で適用できないということです。

お腹の中にいる間はへその緒から栄養をもらっているので生きることはできます。しかし、肺が低形成となると生まれてきてから肺呼吸ができなくなるというのです。

この地上では人は寄留者

これは僕も同じだと思ったのです。なぜなら、クリスチャンはこの世界を仮の住まいとしています。聖書にこのようにあるとおりです。

ヘブル人への手紙 11:13
これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。

この地上では人は寄留者であり、旅人です。ということはつまり、帰る場所があるということです。それこそが、天のふるさとです。

天国に行った時に適応できるか?

僕が思ったことはこうです。聖書はこのように言っています。

ヨハネによる福音書 12:24
よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。

天のふるさとで生きるために、この地上では一粒の麦は地に落ちて死ぬ必要があります。つまり、僕もこの地上で自分に死ななければ、この地上では豊かに結ぶことができないということです。ただそれだけではありません。天のふるさとに帰った時に天のふるさとでの生活に適応できるのか?と思ったのです。

この地上では元気に何の問題もなく生きることができていると思うかもしれません。しかし、今元気だからと言って天国に行った時に適応できるわけではないと思ったのです。

自分の十字架

自分に死ぬとはこの御言です。

マタイによる福音書 16:24
それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。

僕はこれまで自分の十字架をあまりよく理解できていませんでした。ただ漠然と「自我が嫌だと感じるもの」くらいに思っていたのです。
ただ今は少しわかる気がします。それは、自分の十字架とはイエス様が歩まれた33年間と同じものだということです。

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