先日、家からビデオ会議に参加していた時、画面に映る自分の顔をみて衝撃を受けました。すごくシケた顔つきをしていたのです。覇気もなく、目もぼんやりしていて、生ける屍の如く暗みを帯びた顔をしていました。
これまで僕は会社に行くまでの間に外向けの顔を作っていたようです。通勤時にオン・オフの切り替えをしていましたが、今は寝床から3秒でデスクまで行けてしまうので、顔の切り替えができていなかったようです。
リモートワークで公私の境目がなくなる中、より一貫した生き方が求められているように感じました。家にいて、仕事のオン・オフの切り替えは必要です。だた、生き方のオン・オフの切り替えは必要ありません。公私ともに生き方が一貫性していれば、いつも同じ顔つきでいられるのではないかと思いました。
先日読んだ本にこのようなことが書かれていました。
人には「顔つき」というものがあります。これは顔そのものとは別にあって、この両方から顔は作り上げられている。(中略)顔かたちとは別に、その人の性格や考え方、教養、品性や器、さらには過去にやってきた行動を表しているのが顔つき、と言ってしまったら、言い過ぎでしょうか。
また、このような話も聞いたことがあります。「人は、ある程度の年齢になったら、自分の顔に責任をもたなければいけない。」つまり、顔は遺伝だけではなくて、自分の生き方が顔に現れるので、生き方に気をつけましょう、ということだと思います。もし、不平不満に満ちた生き方をしていたら、陰気な暗い顔つきになります。反対に、感謝と喜びに溢れた生き方をしていれば、笑顔で明るい顔つきになります。
一方、聖書で心の中のことは目に現れると言っています。
目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。
マタイ6:22-23(口語訳)
もし、心に光があれば、目も澄んで顔つきがよくなります。
今後のチャレンジとしては、生き方に一貫性をもたせて、顔つきにも一貫性をもたせること。そして、御霊に心の中に住んで頂き、心の喜びが顔に現れるような大人になります!
あなたはいのちの道をわたしに示される。
あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、
あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。
詩篇16:11(口語訳)