0407_下りのエスカレーター激走する戦い

気がゆるむと…

他のクリスチャンの方はどうかわかりませんが、僕の場合、少しでも気がゆるんだり、苦い根が心の中に生えてそのまま放置などしたりすると、すぐに聖霊の内住の喜びを失ってしまいます。例えば、誰かに対して腹が立ってしまったりした時、または益にならないゴシップなどに夢中になってしまった時、あるいは俺ってできるんじゃね?と高慢になった時、ほぼ主の臨在の喜びが失われています。

いちばん、たちが悪いのは、そういったオラオラのお調子乗り状態になっているにもかかわらず、主が共にいてくださっていると思い込んでいる状態です。そういう場合は、主に助けを呼び求めることもしませんし、悔い改めをすることもありません。だから、日常生活でもっとも気をつけないといけないのは、自分の心が今どのような状態にあるかです。聖書はこのように語っています。

油断することなく、あなたの心を守れ、
命の泉は、これから流れ出るからである。
箴言4:23

目を覚ましていること

イエス様も絶えず同じようなことをおっしゃいました。例えば、「誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。」や「だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。 」など目を覚ましているように口を酸っぱくしてお語りになっています。

確かに目を覚ましていないと、油断しないようにしないと、またたくまにこの世の引力や重力にもっていかれてしまい、「あれ、イエス様なしのほうが人生楽しくね!?」みたいな大いなる勘違いをしてしまう危険性があると身をもって感じています。

この世の力

地球の引力が常に引っ張り続けているように、この世で生きる以上、この世の引力は常に僕たちを引っ張ろうとしています。このような引力の中で、主と共に生きることは、下りのエスカレーターを登ろうとしていることに似ているかもしれません。

下りのエスカレーターは歩いて登ろうとしても、なかなか登れません。やはり一気に走り込むか、エスカレーターが下る速度よりも早く歩かないと、遅かれ早かれ意識しなくても下にくだっていってしまいます。だから、この世の力は強いということをしっかり認識して激しく抵抗することが必要だと感じています。

主の力

この世の力が強力ということをしっかり認識すると、自分ではこの力に勝てないことも明白になります。そうすると、主の助けがないと到底勝ち抜くことができないことが体験として身にきざまれます。たとえ、この世の力が強くても恐れることはありません。主はこのようにおっしゃっているからです。

これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。
ヨハネ16:33

おっさん
■この世の引力は絶大で歩みを止めるとすぐに引っ張られてしまう
■しかし、主の力はこの世の力よりも強力であるため、悔い改めてより頼み続けるならば勝利は決まっている

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