人生の転換点におけるピーク
クリスチャン信仰とは救われた時がピークで救われた以降は下降線をたどっていくというようなものではありません。もちろん、救われた時のあの歓喜の原体験は何にも代えられないものです。しかし、それは決して人生におけるピークではなくて人生の転換点におけるピークにすぎません。
救われて以降は別のステージに移行し、主と共に生きる喜びをかみしめつつ歩んでいくものだと思います。ある時は静かな喜びがあったり、ある時は大きな叫びたくなようなう喜びもあるでしょう。つまり、成長に応じてその救われた喜びは続いているのです。
救われてからがスタート
救われてからがスタートです。そこから、いかにして主と共に歩み続けるか?選択し続けるか?の訓練が始まります。それは自己否定の過程であり、悔い改めの過程でもあります。それにより、キリストの似姿に変えられる望みを抱いています。しかし、こう書くと、訓練、否定、悔い改めなど何のいいこともないのではないか?と思われるかもしれません。確かに肉にとっては何のいいこともないのです。
しかし、霊にとってはいいことづくしです。肉が砕かれることによって霊の恵みや祝福にあずかることができるようになるからです。そもそも、天国は肉のものではなく、霊のものです。なにより、神様ご自身が霊である以上、霊に注力していく生き方が本当のクリスチャンの信仰生活です。
失っていたものを取り返していく
僕はこの過程を通る中で教えられたことがあります。それは以前もこのブログで書いたこともあります。それは罪人の時に失っていたものを取り返していくという過程です。罪人の時に失っていたものとはなんでしょう。それは、愛、喜び、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制があります。また、家庭や社会や職場での人間関係の回復などもあるでしょう。罪人の時には決してすることのなかった良い習慣の獲得もあるかもしれません。
最近僕が取り返していると感じるものがあります。それは「算数・数学」です。僕が罪人であった時は学ぶ意欲が皆無で、算数や数学に対しても学ぶ意味が全く見出せませんでした。小学校2年生の時点で既に一人だけ夏休みに学校の補習に行かないといけないありさまでした。そういった体験は僕に「僕はできない人間なんだ」と強く思い込ませるのに十分でした。
できないことなんてないよ。
しかし、イエス様は違いました。イエス様はいつも励ましてくださいました。「できないことなんてないよ。あなたにはできるよ。なぜならわたしが共にいるからだ。」とおっしゃってくださいました。僕は自分が駄目だと思っていたので、どんな自己暗示やポジティブシンキングや自己啓発もききませんでした。しかし、イエス様が心に語ってくださる言葉には力があったのです。
僕は「イエス様と共に学ぶ」喜びを知りました。そして、今はそれが算数や数学へと繋がっており、僕はようやく小学生の時に失ったものを取り返しつつあると思わされています。今あるのはすべてイエス様のおかげです。だから取り返したものをもって主の栄光のために役立つように使って頂きたいと強く願っています。