0851_宣言型の祈りをした瞬間に何も状況が変わらなかった時はどう理解すればいいのか?

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懇願型と宣言型

最近、祈りについて目から鱗が落ちることがあったので、ここに書いておこうと思います。祈りでよくある形式は「〇〇してください」という懇願系だと思います。この形式は神様も歓迎してくださっているものです。何事でもあなたがたの思うところを神に申し上げるがよいと聖書にあるからです。

一方で宣言形式の祈りもあります。これは御言をそのまま宣言する祈りであったり、「イエス・キリストの血潮によって癒されます。」とか断定的な表現になります。個人的にはこちらの祈りのほうが難しいと考えていました。なぜなら、この形式の祈りには明確な信仰が必要になるからです。

神との親密な関係

まず、大前提として神様との個人的な関係が確立されていないとこういった祈りはできません。なぜなら、神様との個人的な親密な関係の中で、神様が必ずきいてくださるという信仰が与えられる必要があるからです。お父さんに絶対的に信頼しきっている子供のごとく純粋に聞いてくれると信じて疑わないのです。

そして、その絶対的な信頼、つまり信仰は一時的なものではありません。たとえ、断定的な祈りをして、その瞬間に状況が何も変わらなかったとしても神様が必ずきいて下さると信じ続けることこそが忍耐の祈りであるからです。

祈りをした瞬間から

僕は今年に入ってからこの宣言型の祈りを活用してきました。その祈りは懇願型よりもはるかに力があると感じています。なぜなら、そこに信仰の力が入ってくるからです。ただ、僕はこれまで、祈ってすぐに状況が変わらなかった時、それをどのように認識していいかわからずにいました。つまり、神様はきいてくれたのか?きいてくれるのか?きいてくれないのか?などです。

しかし、最も大切な認識は、宣言型の祈りをしたその瞬間から神様の力が働き始めているという事実です。たとえ、見えるところの状況は変わってなかったとしても、神様は必ず祈りを聞いてくださっており、働き始めてくださっているのです。

日々の祈り

僕は毎日、こどもを保育園に連れていく前に彼の肩に手を置いて祈っています。これまではいわゆる「守ってください」とか懇願系が多かったのですが、宣言型の祈りに変更しました。例えばこのように祈ってあげます。

「今日もあなたが(息子)と一緒にいてくださることを感謝致します。『わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない。』今日もあなたが彼の恐れ、不安、心配を取り除いてくださり、今日も保育園でお友達や先生と仲良く過ごすことができます。愛するイエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン」

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