2歳の息子と二人っきり
最近は一週間ほど嫁さんが入院していて家にいなかったので、はじめて2歳の息子と二人っきりでまるまる1週間生活することになりました。正直、それが決まった時は不安しかありませんでした。それは現在の状態おいて1年後、2年後の不安、さらに息子二人と生活できるのか?という明日への不安です。
しかし、主はすぐに御言を語ってくださいました。この御言によって心に平安が与えられたことを神様に感謝しました。もしこの御言がなければ将来への重圧に押しつぶされていたと思います。
だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
マタイによる福音書 6:34
イエス様と共に
主が共にいてくださったので、1週間、息子とひと時も離れることなく生活できたことは僕にとって幸いな日々となりました。時短で在宅で仕事をして、洗濯、洗い物、ごみ捨て、朝昼晩のごはんの用意、はみがき、お風呂、就寝まで対応する必要があります。
もし僕がイエス様と共に歩んでいなかったら、間違いなく心の余裕を失って子どもにつらく当たっていたであろうことが容易に想像されます。しかし、主が僕に子どもを思う愛を注いでくださって余裕がなくなることなく接することができたのです。僕はただただ主に感謝を捧げます。
すべてが気がかり
またこの期間中、本当にひと時も離れず24時間7日間、こどもと一緒にいました。僕は今更ながらこれが「主、われらと共にいます。」ということなんだと実感しました。主はいつも共にいてくださるというのはこういうことなんだと体験をもってわかったからです。
正直、この期間中はずっと気が張っていました。こどもは作ったご飯を食べてくれるだろうか?寝てくれるだろうか?歯磨きをいやがらないだろうか?何よりもお母さんがいない状態で寂しい思いをできるだけさせないようにできるあろうか?すべてが気がかりだったのです。
天のお父様
天のお父様は同じ思いで僕たちのことを思ってくださっているんだと思いました。主は僕らのことが気にかかってしょうがないんだと思います。
それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
マタイによる福音書 6:25-26