孤独な存在
今日は先日の祈りで個人的に語られたことをシェアしたいと思います。
個人的に語られていることを書いているので「お前がそう思い込んでるだけじゃね!?」と思われる方は読まないほうがいいかもしれません。しかしこれから書くことは本当に僕が思ったことを書いているわけではないことを宣言しておきます。
一つ目は「あなたは孤独な存在だ。」と語られました。それを聞いた時僕は「いいえ、僕は孤独な存在ではありません。なぜなら僕には奥さんも子供もいるし、職場には同僚、また教会には兄弟姉妹もいます。僕は孤独ではありません。」と答えました。
それに対する主の答えはこうでした。
「あなたは孤独な存在です。あなたの孤独を満たすことができるのは私だけです。」
満たすことができる方
僕ははっとしました。たしかにそうだと思いました。表向きは確かに孤独に見えないかもしれません。しかし、僕の心の中はどうでしょう?僕の中には誰にもいえないどれほど秘密があるでしょう?また僕みたいな気難しくて変な人間を理解する人などこの地上にいるのだろうか?と思わされたのです。
僕は言いました。
「主よ。確かにその通りです。僕を満たすことができるのはあなただです。」
それから僕はさらに祈りに集中していきました。
あなたの取柄はなんでしょう
次に語られたことはこれでした。
「あなたは相変わらず無知で何もできないのに、自分はできると思っている。」
僕はそのとおりだと思いました。今回僕は自分の祈りの原点に立ち返って、自分がどのようなところから救われてどのように主に祈って生きていたかを思い出しました。はっきりとわかることは、主に出会うまでは何も持っていなくて、何もできなかったということです。今があるのは「すべて主のおかげ」だということです。
そして、続けてこのように語られました。
「あなたは本当に無知で本当に何もできません。あなたの取柄はなんでしょう。それは『私を求めること』それだけでしょう。あなたからそれを取ったらあなたに何が残るのですか?」
主を求める心
この語りかけを聞いた時、僕は原点に立ち返りました。こう思いました。
僕の人生は主を求めることから始まりました。それから自分は何か持っている者のように思うこともありましたが、実は相変わらず何ももっていません。地位も権力も学力も学歴も何もありません。この世に属するもので何も持っていないのです。
しかし、唯一取柄は「主を愛して主を求めること」だけです。もし、僕がこれを失ってしまったら僕は僕ではなくなってしまうと思ったのです。僕は奪い去られていたものを奪い返しました。それは「主を求める心」です。僕は今回裏山に導いてくださったイエス様に心から感謝しました。