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通読の申命記
最近、在宅時の通読は申命記まできて本日終了しました。明日からはいよいよヨシュア記にはいります。申命記はレビ記と民数記と重複するところがかなりあるのですが、出エジプトしてからの総まとめとして思い出しながら読むことができました。繰り返し書かれているのは、神はイスラエルの人々に神の言である戒めを与えるが、あなたがたはそれを決して守らないだろうということでした。
そして、守らないならば神の祝福はなくなるが、それは神がイスラエル人を愛しているがゆえに、神のところに帰ってきてほしいがゆえに起きることだということです。神様はどこまでいっても愛のある憐れみ深いお方であり、被造物である人間が神と共に幸せに生きてほしいと願っておられることを学びました。
ただ願わしいことは…
ここからは特に印象に残った暗唱聖句をしようとノートにメモした御言を感想とともに記載したいと思います。一つ目はこれです。
彼らの言ったことはみな良い。ただ願わしいことは、彼らがつねにこのような心をもってわたしを恐れ、わたしのすべての命令を守って、彼らもその子孫も永久にさいわいを得るにいたることである。
申命記 5:29
ここでは神の戒めを与えられたイスラエル人が「神の言を守ります!」と応答したあとに神様が答えたところです。神様がおっしゃりたいことはこのようなことだと思います。今の一時的な気持ちの高揚で口だけで約束するのではなく、常日ごろから神と共に歩むことのほうが願わしいということです。
これは説教を聞いて頑張ろうと決心しても翌日から日常の引力に負けてしまう僕の姿と同じだと思いました。だからこそ暗唱聖句のリストに入れました。
わたしが正しいから?
次はこの御言です。
あなたは心のなかで『わたしが正しいから主はわたしをこの地に導き入れてこれを獲させられた』と言ってはならない。この国々の民が悪いから、主はこれをあなたの前から追い払われるのである。
申命記9:4
僕が正しいから神が僕を愛してくれているわけではありません。また何か働きをする時に僕が正しいから神様が働いてくださっているわけではありません。自分が職場や教会や家庭で用いられたとしてもそれは、僕が正しいからではなく、主がそうされたいからだけです。僕はこれをよく忘れるので暗唱聖句に入れました。
わたしには平安がある?
最後はこれです。
そのような人はこの誓いの言葉を聞いても、心に自分を祝福して『心をかたくなにして歩んでもわたしには平安がある』と言うであろう。そうすれば潤った者も、かわいた者もひとしく滅びるであろう。
申命記 29:19
人は神がいなくても自分の心をごまかすことができます。つまり、神が共にいなくても自分は神と共に歩んでいて平安だと勘違いしてしまうことがあるということです。経済的に祝福されていたり、社会的に祝福されていることは神が共にいる証拠にはならないからです。
僕も神様がいないのに「僕は平安だ!」と大いなる勘違いをしないように暗唱聖句にこの御言を追加しました。これら以外にもノートに書いた御言はまだまだあるのですが、まずは覚えて忘却曲線にあらがって昼も夜も御言を思う者になりたいです。