明け渡す過程
昨日はどのような過程を経て主に明け渡すことを学び、今も学び続けていることを書きました。明け渡す過程で僕が経験したのは下記のようなものでした。実はこの過程は信仰に入る時と同じ心の変化だと気づきます。
- 抵抗(いや、そんなことはない)
- 受容(たしかにそうだ)
- 失望(自分はそのような姿だったのか)
- 希望(僕にはできないが主にはできる)
- 確信(明け渡すという感覚)
抵抗と受容
最初、理性や肉は「キリストが復活したこと」や「あなたには罪がある」という教えに対して抵抗します。しかし、聖書と向き合い、自分と向き合うと次第に「自分が罪人であること」が否定できないことに気づき始めます。また、臨在溢れる礼拝に参加したり、キリストと共に生きているクリスチャンと交わる中で「確かにキリストは生きているのではないか」という心が芽生え始めます。
このあとすぐに救われたら何の痛みもないのですが、救いには必ず「悔い改め」が必要です。そこで一度自分に失望することを学びます。僕自身はこの悔い改めの度合いや心の真実さが、のちの信仰生活の質に比例すると考えています。
失望
悔い改めは最も暗い時です。それは夜明け前ほどに暗いものです。ここが踏ん張りどころになります。それは当然です。なぜなら、サタンや闇の勢力はこの悔い改めの過程で人を失望させたいからです。徹底的に失望させて希望を持たせないために徹底抗戦を仕掛けてきます。
だからこそ、悔い改めの過程では御言が必要になります。闇の世の主権者との戦いにおいて、神の武具で唯一武器として使えるものは御言のほかないからです。ここで人は救いの御言を握り、御言に立つことを知ります。
希望と確信
そして、最後、悔い改めの過程で自分自身の弱さ、頼りなさ、無力さ、不真実さを知ることで、明け渡す準備が整います。そして、御言を信じて主に委ねることができるのです。その過程で理性や肉は全く役に立ちません。思い込みや自己暗示も役にたちません。「こう信じるべきだ」という外からの信仰も無力です。
なぜなら、その過程においては聖霊が主導権を握っているからです。それは霊的なものだからです。聖霊によって御言が開かれたり、活性化したり、主に触れられたり、主にお出会いする中で「委ねている」という感覚を知るのです。
ローマ人への手紙 5:5
そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。













