人生はよく「上り坂、下り坂、そして、まさか」と言われますが、ここ数日は、まさかの連続です。「まさか、オリンピックが延期、、」。「まさか、志村けんさんが、、」。「まさか、居住地域の近くで感染者が、、」など、毎日のように「まさか」のニュースが耳に入ってきます。
今日は、4月1日で新しい年度の始まりますが、入学式なしで、オンラインで授業を受ける新入生もいれば、入社式なしで、出社初日がリモートワークでテレカンということもあるそうです。数ヶ月前、想定していた新年度とは、環境も異なり、見える景色も全く違うものになってしまいました。
巷では、アフターコロナとか、コロナ後の世界について議論がされていますが、コロナ後の世界はおそらく、現在よりもさらに見える景色が変わっていると思います。それだけ、先行き不透明な状況に突入していて、今後も不安になるような「まさか」が続くように思えます。
クリスチャンなら、誰でもGood Newsである「まさか」を経験していると思います。救い主は正式な学問を受けたこともない田舎の大工でした。キリストの教えは、行いによる義ではなく、信仰によって義とされものでした。当時、この「まさか」のつまづきの石につまずいた人も多くいたようです。
信仰によらないで、行いによって得られるかのように、追い求めたからである。彼らは、つまずきの石につまずいたのである。
ローマ9:32(口語訳)
また、約2000年前にイスラエルで実際に起こった歴史的出来事は自分のためであったこと。天地を創造された偉大な神がわたしたちのことを名前で読んでくださること。わたしたちがまだ罪人であった時に、キリストが私達を愛して十字架にかかってくださったこと。そして、罪がゆるされて、神と和解して、父と子の交わりに与ることができるようになったこと。すべてが、「まさか」です。
そのとががゆるされ、
その罪がおおい消される者はさいわいである。
主によって不義を負わされず、
その霊に偽りのない人はさいわいである。
詩篇32:1-2(口語訳)
生きていると、「上り坂、下り坂、そして、まさか」と色々ありますが、イエス・キリストが私達のためにしてくださったGood News、そして、これからもしてくださる「まさか」に目を向けて感謝しつつ歩めますように。