0886_教会とは複雑接触効果が発揮されるところで神の愛を知るところ

単純接触効果

みなさんには家族や親族以外で週に一回以上、顔を合わせる人はいるでしょうか。おそらく、近所に人や職場の人などがそれに該当するんじゃないかと思います。単純接触効果というものがあって、人は顔を見る回数が増えれば増えるほどその顔に親近感を覚えるものです。

しかし、この効果はあくまでも「単純」に接触した時に効果を発揮するものです。複雑に接触した場合はネガティブに働くことがきっとあるでしょう。それは人への期待値のズレや摩擦から起こるものだと思います。

複雑接触効果

教会の人間関係というのは、ほとんどがこの複雑接触効果が働きます。もちろん、教会に初めて来た人や客員の方は単純接触効果で教会の人たちに対して親近感を覚えるようになるでしょう。

しかし、教会の活動に入り込んでいくとこれが複雑になってきます。教会での奉仕や業務遂行は「キリストに救われた」という一つの共通点のみで、性格も趣味も考え方も背景も年齢も違う人達がキリストにあって一つに物事を進めようとするものです。

人を見ないで神様だけを見る

それが前提にあるため、教会内で人と人がぶつからないはずがありません。意見の衝突があるものです。しかし、もしそれぞれが神様に助けを求めて主の愛で相手を受け入れていくプロセスを経て調整がなされていくなら、人間業ではない多くの神様の祝福と恵みを伴う奉仕になります。

祝福された教会生活を送る秘訣はほとんどこの一点につきるような気がします。それは「人を見ないで神様だけを見る」ということです。そうしないと人につまずいて終わってしまいます。

神の愛を知り、神の祝福を受ける人

なんで「クリスチャンの集まりなのにこんなに問題が多いんだ」とか「なぜクリスチャンなのに愛がないんだ」とか人を見ているとつまずくことしかありません。しかし、そういった複雑な人間関係の中で主を求める中で主の愛を知り、主の愛で受け入れる訓練を受けていくのです。

これはほとんどすべてのクリスチャンが通る訓練の過程だと思います。人を見る人は人につまづき、人を裁いて祝福からもれてしまいます。しかし、一心に神を見続ける人は、神の愛を知り、神の祝福を受ける人でしょう。

信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。
ヘブル 12:2

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