現代のリバイバル
少し前、アメリカのアズベリーでリバイバルが起こったことが話題になりました。大学の礼拝堂で礼拝が終わらない状態になったのです。しかもこれまでのように「遠くの国で起こったらしい」リバイバルではなく、今回はYoutubeでライブ配信されていたので、世界中の人たちがその様子を見たのです。
僕はこのニュースを聞いてとても励まされました。そして、いよいよ、この日本にもリバイバルがくるということを確信しました。なぜなら、神様は分け隔てをされないお方だからです。もし、神の御言に留まり続け、神の御心を願うなら、リバイバルは必ず来ると信じているからです。
暗闇で光を望み見る
と言っても、僕自身はリバイバルが来ることに関して、不信仰になっていた時もあります。教会という組織とか教義だとか日本の国民性だとかいろいろなところに問題があると理屈や理由をつけて、無理だろうと結論づけていたのです。
しかし、僕が見た教会の指導者たちは全く違いました。彼らは全く希望が見えないような状況や絶望の中で、リバイバルが来ることを確信して疑わなかったのです。たとえ、望みえない状況においても望み続ける信仰を指導者たちは持っていたのでした。
それは、まさに暗黒の時代に預言者イザヤが預言した御言のようでした。
暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。
暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。
イザヤ9:2
聞かれる祈り
神には何でもできないことがないと知識では知っていながらも、内心はそう思っていない場合があります。しかし、もし、人がキリストの御言にとどまっており、キリストに繋がり続けるなら、神は本当に何でもできることがわかります。
元来の自分の自我が消失し、神の思いで神に祈ることができるようになる時に、その祈りは確かに聞かれるのです。
いずれ天国で永遠に過ごすのであれば
もし、クリスチャンとして生きていて、「とりあえず大きな問題なく平和に過ごせていればよい」と思っているならそれはとても残念な生き方です。なぜなら、聖書には神の御旨を行う者は永遠に永らえるとあるので、この地上で自分のことのためにしたことは天国では無意味に等しいのです。もし、天国に行けることがわかっているのなら、永遠に残る働きにもっとコミットできる信仰生活がしたいと思っています。
神は必ずこの日本にリバイバルを起こしてくださると信じています。