人の弱みは見えがち
最近、「人の弱みではなくて、強みだけを見る」という言葉がずっと頭の中にあります。それは、この言葉を全く実行できていないからです。できてないと自覚する度に、この言葉が頭の中に浮かんでくるのです。特に自分にはできるのに、他人にはできないところを見ると、言わないにしても「なんでこんなこともできないのか」と上から目線でお山の大将のごとく、人を見てしまうことが少なからずあります。だいぶ痛い人間です。聖書には、他の人を自分よりも優れた者として見なさいという教えがあるにもかかわらずです。
例えば、ある人はメールを作成するのに1分もかからない人もいれば、10分かかる人もいるでしょう。この時、1分で書ける人は想像力を発動させないと、「なんですぐに書けないのかな」と言わないにしても、無意識に上から目線モードになるかもしれません。仕事のスキル、趣味、特技、あらゆるところで起こりうることだと思います。
自分の弱みは相手の強み
よくよく考えたら、仕事での連携にしろ、パートナーにしろ、自分にできることを相手ができる必要はないのです。自分にできることが相手にもできるのであれば協業する必要も協力する必要もありませんし、そこから新しい価値が生まれる可能性すら低くなると思うからです。自分にできることを相手ができないとは、言い換えると、相手は自分にできないことをできるということです。
人にはそれぞれ、強みと弱みがあるので、自分の強みを基準に相手の弱みを見るのではなくて、自分の弱みを基準に相手の強みを見る方がよっぽど建設的ですし、精神衛生上も、人間関係上もいいと思います。
強みは当たり前と思いがち
さらに、関係が長くなると、その人の強みというのは、当たり前で当然のように思ってしまうので、その人の強み忘れたり、見逃したりしがちであることも気をつけたいと思います。例えばシステム開発では、何かトラブルが起きると、その対応をした人が評価されがちです。トラブルが起きているにもかかわらずです。しかし、何のトラブルも起きずに黙々と粛々とシステムを運用している人はあまり目立たずに評価されないそうです。
人事では人間関係ではなく、成果で行うべしとの言葉もあります。黙々と成果を出している人よりも人懐っこいや人当たりのいい人が昇進してしまうと、それは成果に結びつかないからです。
人は自分より優れている
相手の強みは見逃しがち、かつ、相手の強みは自分の弱みとの言葉を頭で回しつつ、我以外皆教師という態度で、すべての人を優れた人として、歩んでいけるように自覚し、訓練していければなあと思います。
兄弟の愛をもって互にいつくしみ、進んで互に尊敬し合いなさい。
ローマ12:10
■例えば、自分の弱みを基準にして相手を見ると相手の強みがわかるようになるかもしれない
■また、人の強みは当然のように思ってしまいがちであるため、当たり前のと思わないようにしたい
■もし、我以外皆教師という態度ですべての人を優れた人として見ることができれば、建設的で人間関係上もよくなり豊かな人生につながるだろう