この世界の美しさ
4月1日は風が強かったですが、春らしい天気で電車から見える青空に映える桜がきれいで、いつまでも電車に乗っていたいと思いました。人工物であるビルディングと整備された街並みに彩を与える桜が絶妙な調和を醸し出しており、荒野を開いた時からの人類の汗と神の恵みの両方を感じることができました。
こんなに美しい景色を自分の心の空間にもずっと持ちたいと強く願いました。なぜなら、たとえ外の世界がどれだけ荒廃したとしても、心の中の空間こそはその影響を受けずに美しい世界を持ち続けることができるからです。今流行りの仮想空間であるメタバースよりも、本当の意味での自分自身であり、自分の所有物である心の空間は代替付加であり、尊く、価値のあるものです。
もちろん、心の空間では様々な嵐が起こったり、強風に見舞われたり、土台を大きく揺るがされるようなことはあると思います。しかし、外の世界は意のままにこの心の世界を破壊することは決してできないのです。
心の世界は自分で創造できる
「七つの習慣」では、人間はパブロフの犬のごとく、外界からの「刺激」を受けて、それに本能的に「反応」するのではなくて、刺激と反応の間に空間があり、それを自覚して、自分の意志で、その反応を書き換えることができると言っています。ようは、ある人が悲しんでいる場合、悲しい感情がその人にあるのは、「その本人が悲しむことを選んだ」からだというのです。
例えば、「夜と霧」では第二次世界大戦中、強制収容所に送られた作者が非人道的な過酷な状況に追い込まれても、心の均衡を崩すことなく人間らしさを失わずにおれたと書いてあります。
以前は一体何を言っているのか全く理解できない時期がありました。ただ聖書の言葉や様々な良質な言葉で自分を制御することを学ぶうちにその言葉の意味がわかってくるようになりました。
心の世界の美しさを保つために
イラっとしたり、しゅんとしたり、げんなりしたりと日常では様々な感情に認知が奪われます。しかし、その反応をそのまま放置しておくのではなくて、持っている言語を総動員して、自分の感情を書き換えて反応することができるのです。時にはその反応を書き換えるのに一定の時間が必要かもしれません。瞬時にできなくても、一人の時間をとって読書をしたり、温泉につかったりして、時間をかけて別の解釈で書き換えることができるのです。
今日のこの春のような美しい世界が外に存在するのではなくて、すべての心の中に存在し、そして、誰にもその美しさを奪われないように祈りたいと思いました。
■外部からの刺激に対する反応の間には空間があり、反応を選ぶことができる
■どれだけ心に嵐が吹き荒れても、聖書の言葉と良質な言葉によって、心を守ることができるだろう