献金をすること
以前、「什一献金が初めて惜しいと思った」というようなことを書きました。
あの時の葛藤以来、献金をお返しできるのは幸いなことだと思うようになりました。それにはいくつかの理由がありますが、最大の恵みは「お金がすべてじゃない」という認識を得ることができているからです。
自分たちにとってのお金
多くの人は1日のほとんどの時間を使って働いています。もちろん、ある人達は不労所得だけで生活しているかもしれません。ただ多くの人は時間を使って労働して働いています。ある人は、お金のために働いている人もいれば、生きがいのために働いている人もいるでしょう。その対価としてもらったお金は自分にとって尊く感じられます。なぜなら、自分の時間や自分のスキルの対価としてもらうものだから、自分にそれだけの価値があると思わせてくれるからです。
それは僕にとっても嬉しいことです。給与が振り込まれると嬉しいですし、もし上がったりするならなおのこと嬉しいです。そういった感情に特に問題はないと思っています。最大の問題は気づかぬうちに、無意識のうちに「お金がすべて」と思ったり、「お金を増やさないと」という脅迫観念に縛られたり、「お金を持っていないと成功していない」という価値観に捉えられてしまう危険があるということです。
すべての源を知る
しかし、自分がもらっている給与は自分が頑張ったから与えられているわけではなくて、それを得るために自分がもっている健康、時間、スキルもすべて創造主が与えてくださったと思うと、あら不思議、すべてが恵みに感じられるのです。神がすべてを支配しておられ、必要なものはすべて神が与えてくださるのです。そうすると、どうなるでしょう?
給与が少ないことや会社に対する不平不満が消えてゆきます。なぜなら、神がそこで働くように導いてくださっており、そこで働くことが自分にとって最善だと信じることができるからです。
お返しすることで
そして神にそのお金をお返しすることによって、お金に縛られることがなくなります。今も昔も、お金を持っていないと失敗者というような考えがあります。また、仮に持っていたとしても「お金を増やさないと」という脅迫観念に縛られがちです。本当に大切なことはお金ではありません。この事実は頭ではわかっていても実行に移すことが難しいです。
大切なのは目に見えないものです。もちろん目に見えるお金も大切ですが、一番大切なものではないということを覚え続けたいと思いました。