歩いて気づいた景色
先日ランニングに行ってとても綺麗な景色を見ました。日が暮れるタイミングだったのですが、西側から照る強烈でありながらも目に柔らかい光が新緑に反射して絶景になっていたのです。最近は片道5キロを走って、帰りはゆっくり5キロ歩きながら帰るようにしています。
走っていると速度こそそこまで早くありませんが、刻一刻と変わる景色が面白くて、車でドライブに行っているような楽しさがあります。その一方で、徒歩の場合、より時間をかけて景色に集中することができるので、普段気づかない景色に気づくことができるのです。今日は撮った写真を何枚か共有しようと思います。
1枚目の写真
これはなんのフィルターも使っておらず、トリミングもレタッチもしていません。撮ったままの状態です。「この写真のどこが絶景か!バカ!」と言われたらそれまでなのですが、僕はこの景色を見てこう思いました。人生は1日に例えられます。強烈な朝日をもってこの地上に生まれ、日が高くなるが如く成長します。しかし、太陽は常に高い位置にあり続けることはありません。日は必ず沈んでいく運命にあります。
しかし、この写真のように夕暮れの人生の後半に差し掛かったタイミングはとても美しいということです。なぜなら、その時には、人はきっと本当に大切なものが何かを知っており、品性も人格も練られて、人としても丸くなっていると思ったからです。
2枚目の写真
こちらも何の編集もほどこしていません。これはおそらく藤?だと思うのですが、強烈な光が柔らかい葉に当たって透過しているところに美しさを見ます。まだ花は咲いていませんが、柔らかい心と透過するほどの透明感のある心に神の光が当たれば、人は美しいものになれるんだと思いました。
3枚目の写真
この花は子供の頃遊んだ公園に咲いていたので、懐かしく思って写真を撮りました。時々実家に帰りますが、自然はほとんど変わることがありません。遊具や設備は経年劣化で朽ちていきますが、自然は神の摂理の中で保持されているのです。