0939_10kgの米俵をもってランニングする人

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痩せたことによる副産物

昨日は体重が約8kg減量したことについて書きました。減量したことにより多くのメリットを享受しています。例えば履けなくなったズボンが履けるようになったり、食べる量が減って食費が浮いたり、食に対する執着心がなくなったなどがあります。

その中でも棚から牡丹餅だったのが、ランニングが以前よりも軽くできるようになったということです。ほとんど以前なら8kgのダンベルを持ったまま走っていたようなものがそれを持たなくてよくなったのです。

これまで何をやっても駄目だった

今年の3月ごろは距離とスピードを伸ばしたくてフォーム改善などに取り組んだのですが、まったく改善できていませんでした。スピード上げれば距離が落ち、距離を伸ばせばスピードが落ちるというような状態でした。

しかもそれとは別にふくろはぎの突発的な痛みに苦しめられました。どれだけストレッチなどを入念にやってもふくろはぎに痛みが走る可能性があり、いつもびくびくしながら走っていたように思います。

しかし、よくよく考えたら、フォームや体力云々の前に走って運ばなければならないものの重さを減らしたほうが幾分も改善できるのは火を見るよりもあきらかでした。まずは10Kgの米袋を持って走らなくてもいいほうに注力すべきなのです。

重荷を明け渡す

聖書にはこのようなイエス様の有名な招きがあります。

すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
マタイ11:28-29

たとえ、なぜ生きるのはこんなにしんどいのか?なぜこんなにも不幸が続くのか?なぜ自分だけこんな目にあわないといけないのか?などの思うことがあっても、自分でそれを背負う必要はないのです。

噓偽りなく、真実な心をもって自分の心を主に明け渡すことができれば、主はそれを喜んで背負ってくださいます。

主の荷を負う

そしてしんどいことはイエス様に背負ってもらっておわりじゃなくて、次はイエス様が望んでおられることをする生き方できるようになります。それは自己否定する生き方かもしれません。自我は激しく抵抗するかもしれません。しかし、イエス様のくびきは間違いなく負いやすく、その荷は軽いのです。

自分自身でやりたいことをやって負いにくいくびきを負ったり、重荷を負うのではなくて、肉の性質である自分がやりたいとは思わないことであっても霊の自分にとっては大きな喜びになる負いやすいくびきや荷を負いたいものです。

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