0332_主の恵みの棚卸しをする

いつも感謝すること

聖書には、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。テサロニケⅠ:16-18」という有名な御言があります。山あり谷あり、感情の起伏が日常的にある中で、「いつも」となると、多くの人にとって、実行不可能のように思えてしまいます。しかし、聖書は実行不可能な言葉を無理やり僕たちに要求することはありません。下の句に続く「これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」の箇所が上の句よりも重要なのです。

人間は罪の性質ゆえに、いつも喜べず、いつも祈れず、すべてのことに感謝できない性質を持っています。ただ、イエス・キリストにすがりつき、彼が共にいるならば、彼にあって、それができるようになるのです。

本当にいつも感謝できているか?

ただ、それをわかっていても、なかなか、実行するのができないと感じるのは僕だけでしょうか。下の句を頭では理解していても、いつも喜んでいるわけではなく、絶えず祈っているわけではなく、すべてのことに感謝できていない時があるのです。

自分でも明確にわかっている原因は、主体的に能動的に自発的に自律的に、いつも主を求めることをしていないからです。日常の忙しさに気を取られて、祈る前にことを始めてしまったり、主の前に降参して、自分を明け渡すということをせずに、自分でやってしまっている場合があるのです。そういった中で、一つの仕組みとして、主に感謝できる時間を設けるようにしました。

恵みの棚卸しをする

おそらく、少なくないクリスチャンが年末年始に、昨年の感謝な出来事に思いを馳せ、書き出し、主に感謝する時間をとっているのではないでしょうか。賛美歌にもあるように「数えてみよ♪主の恵み〜♪」のごとく、主の恵みを数えるのです。

僕の工夫は、それを年に一回だけにではなく、毎月実行するというものです。例えば、製造業などですと、工場での在庫や仕掛品を年に一度、もしくは、四半期に一度棚卸しをして、売上に反映されていない資産がどのくらいあるのかを算定します。

恵みを数える仕組みを作る

個人的に実行したいのは、「主の恵みの棚卸し」を実行しようというものです。主の恵みは書き留めないと必ず忘れてしまいます。人間は忘れる生き物なので、どれだけ感謝なことがあってもすぐに忘れてしまうものです。しかし、それを月に1回書き出すことで、大きな恵みだけでなく、日常の小さな恵みに心を留めて、感謝することができるようになるのです。

例えば、今月の個人的な小さな恵みを言えば、「確定申告の申請が無事終わった」や「久し振りに○○さんと連絡が取れた」や「仕事で成果物無事を納品できた」など、上げれば多く出てきます。もし、確定申告一つにしても、もし書類が集まらなかったら、不備があったら、提出が遅れていたかもしれません。しかし、そういったことも守られてできていることに感謝できるのだろう~と思います!

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。テサロニケⅠ5:16-18