0766_主は必ず御言を成就してくださる

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与えられた御言

先週の日曜日は、神様は真実なお方であると体験しました。僕は複数の事情が重なって、母教会とは違う教会に行くことになりました。それは僕にとって大きな変化点でした。子供の頃から知っている兄弟姉妹と離れること、また、共に礼拝を捧げることができなくなることは、僕にとって、胸が引き裂かれるようなことでした。

この道に進むのが正しいことなのかと悩みながらも、祈っていく中で御言が与えられ、語りかけがあり、この道に進むのは間違いがないと信じました。その時に与えられた御言はこちらです。

わたしは信じます、
生ける者の地でわたしは主の恵みを見ることを。
主を待ち望め、強く、かつ雄々しくあれ。
主を待ち望め。
27:13-14

忘れることもあった

僕はこの教会で、この地域で神の恵みを見させて頂くんだと信じました。しかし、コロナが猛威を振るっていた約3年間はこの御言が具体的に見える形に現れることはなく、ただ、祈ることだけをしていました。

時にはこの御言を忘れそうになることすらありました。しかし、自分の住んでいる町をランニングをしている時に、この御言がおりてきて、神様がこの地域を強く愛されているということを確信しました。

霊の思いに重心を寄せていく

僕には神様からある使命があります。その使命は、これまで見たことも聞いたこともないからこそ、僕の肉の思いは「無理だ」と言います。しかし、僕の霊の思いは「神様にはできる」と宣言します。

そして、その確信は自分が祈れば祈るほど、神様に近づけば近づくほど強くなりました。神様は約束されている御言を必ず成就してくださるという確信が祈りの中で強められていく体験をしました。

神との交わりの中で

以前から御言を日常的に覚えていましたが、覚えた御言は聖霊によってはじめて、開かれて、本当の意味で語ることができます。これまで覚えた御言を暗唱していても、恵まれる時もあれば、ただ文字面だけを読んでいるなと思うことがありました。

しかし、神との祈りの時間を優先すると、確かに聖霊が働かれて、御言を宣言する力と確信が与えられたのです。僕は以前はとても弱い人間でしたが、今もまだ弱い人間でした。しかし、主との交わりを継続し続ける時、僕は強くなれるということを知りました。

主にあって強くなる

「強くなる」というのは、決して相手をねじ伏せるようなものではありません。むしろ、寛容な心があり、情け深くなることです。また妬まないこと、高ぶらないこと、誇らないこと、無作法をしないこと、自分の利益を求めないこと、いらだたないこと、恨みをいだかないことなどです。また「強くなる」というのは、自分のことばかり考えないで生きることでもあります。

この主との交わりを何としても死守して、与えられた使命を全うできるように主に信頼します。

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