1387_マグカップの内側に付着した茶渋の上にティッシュを被せて隠す

マグカップに付着した茶渋

オフィスで使っている自分用のマグカップがあるのですが、年末のオフィス掃除の時に丁寧に洗いました。数か月かけて付着した茶渋がかなりひどくなっていたたためです。普通の人であれば終業と同時に毎回洗うと思います。僕は無精者なのでマグカップの上にティッシュというおおいをかけて隠し続けていたのです。表向きの理由は翌日までに埃が入らないようにするために、本当の理由は茶渋で汚くなったコップの内側を他の人に見られないようにするためでした。

コップは内側こそが重要です。なぜなら注がれる液体はコップの内側に入るからです。もちろん外側も綺麗に越したことはないですが、液体を汚すのは内側の汚れです。僕のようにティッシュで隠せさえすればいいと思っていたら、内側の汚れやばい菌に飲み物が汚染されて体を壊しかねません。

内側にあるものをきよめなさい

人間も同じです。思考も言葉も行動もすべて内側から出てくるのであれば内側が汚染されていたら、出てくる言動も汚れたものになります。

聖書にはこのような言葉があります。

ただ、内側にあるものをきよめなさい。そうすれば、いっさいがあなたがたにとって、清いものとなる。
ルカによる福音書11:41

マグカップの汚れであれば臭い物に蓋をするようにして隠し通すことはできるでしょう。しかし、人間の内側を完全に隠し通すことはできません。うまくいっていたとしても、必ず何かの拍子に出てくるものです。たとえ教会生活や仕事では隠せていたとしても一人の時間や家庭では噴出する場合が多いです。

人間の内側は見ることができない

それを自覚できていたとしても自分の内側をきよめるのは簡単なことではありません。なぜなら、人間の内側は見ることができないからです。どれだけ内省的な人であったとしても本当の自分の姿を知ることはできません。「俺はわかっている」と言ったとしてもそれは主観に過ぎないのです。

人間は相対的にしか自分の姿を正しく認識することはできません。それは、真実と現状の自分の差分を知った時に初めて自分の姿を知ることができるからです。

イエス様の十字架の血潮によって

僕がはじめて自分の本当の姿を知ったのは、イエス様を知った時でした。その時、自分がいかに汚れてるかを知りました。またどれほどイエス様を悲しませてきたのかと知りました。さらに、こんな罪深い者のためにもイエス様は十字架にかかってくださったということに震えるほどの感動を覚えました。

救われた今もなお、日々、心の内側はイエス様の十字架の血潮によってきよめて頂く必要があります。誰であっても主の前に出続けないと内側の汚れに気づくことはできません。しかし、主の前に出れば、悔い改めることができます。

心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか。
ヘブル人への手紙 10:22

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