0112_責任のある言葉と無責任の言葉

先週、職場で、「生年月日でわかる2020年のあなたの運勢」というものが少し話題になりました。表に月と日にそれぞれフレーズが記載されており、表を参考に自分の生年月日を探します。

例えば、仮に1月1日生まれの人の場合、1月は「思った以上に」で、1日は「褒められる」というフレーズが決まっているので、2020年は「思った以上に、褒められる」という具合だそうです。

ほとんどの人は、こういうものを真に受けたり信じたりせずに、おもしろ半分くらいでするのだと思います。少し変な組み合わせだと面白かったり、ポジティブな情報だとそうなればいいなと思ったりしますが、その場限りで心に留めることはあまりないと思います。

ただし、どこか思い当たることであったり、ネガティブな情報だと少し心配になったりする人もいるかもしれません。

こういった運勢の類は自分から見に行かなければ、なんともないですが、日常生活を送っていると、否が応でも、ネガティブな情報を目にしたり、また、人からの言葉でげんなりしてしまったり、傷ついたりしてしまうこともあります。

放った矢は帰ってこないように、口から出た言葉は帰ってくることがありません。ですので、言葉には責任を伴いますが、人は無責任にも多くの言葉を語りすぎています。フレーズを組み合わせるだけの2020年の運勢ほど無責任な言葉はありません。だからこそ、人の言葉ではなく、神の言葉のところへ積極的に行く必要があります。

イエス・キリストの言は口から出て虚しく地に落ちることはありませんでした。真実なお方で、語った言葉を成し遂げてくださったお方です。ご自身の十字架と復活、そして、父のみもとからくる助け主、真理の御霊によって、それが私達に実現となりました。

人の言葉でショックを受けたとしても、自身後悔したくなるような行動で人との関係が悪化してしまったとしても神の言葉があります。元気がないのなら、弱っているなら、イエス・キリストの言葉があります。

こころの貧しい人たちは、さいわいである、
天国は彼らのものである。
悲しんでいる人たちは、さいわいである、
彼らは慰められるであろう。
マタイ5:3-4(口語訳)

心の御国がきますように、そして、神の慰めがありますように。