人間はおおよそ10代後半〜20代前半から仕事を始めて、そこから40年〜50年近く働きます。人生の半分近く働き続けるのは決して容易なことではなく、その間、山あり谷ありで、様々な苦難や修羅場を乗り越えたりしながら、仕事に取り組むのだと思います。
そして、仕事哲学というものが生まれるようになります。例えば、以前の会社にいた上司は、「お金をもらうから仕事をするんじゃなくて、仕事をするからお金がもらえる。」と言っていました。私の仕事哲学で一番しっくりきているのは、「仕事とは、お客様に価値を提供すること。お客様の問題を解決すること。人助けをすること。」です。
ただそれ意外に仕事の性質として、「仕事は急ぎである」という定義も入れています。なぜ、成果物の納期はいつもキツキツなのか?なぜ、今日中に仕上げないといけないレポートがこんなにあるのか?なぜ、今から1時間以内に提出しないといけないのか?などなど、決して先送りしているわけでもないのに、基本的に急ぎの仕事が多いです。
一つの理由として、自由競争なので、他社に抜かれる前に新サービスや新製品を発売・リリースしないといけないというものがあると思います。また、早く売上を出したいため、スケジュールをキツキツで決めてしまうこともあると思います。または、そもそも、社内のリソースが足りていないので、負荷がかかってパッツンパッツンになっているのかもしれません。
世の中の流れは加速度的に速くなっており、求められる処理能力や納期も今後、ますますキツキツになっていくことでしょう。それだけみんな急いでいるのだと思います。
聖書では、「時が近づいている」と言っています。時とは、イエス・キリストが再びこの地上にこられることです。僕は社会人として、日々、急ぎの仕事に取り組んでいるにもかかわらず、クリスチャンとして、「急ぎの働き」に取り組んでいないことに気がつきました。
主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。
ルカ10:41-42(口語訳)
今日も無くてならないものを求めつつ。