0542_存在を揺るがす巨大台風から逃れうるは

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悩み

きっと誰にでも大小に関わらず、悩みがあると思います。誰にも言えないような悩み、または自分でも気づかない心の奥底に静かに沈殿しているような深い悩みもあるかもしれません。悩みは時に人から力を奪ってしまい、勇気や自信を消失させ、立ち上がれなくなるほどに骨を腐らせるような症状をもたらします。

誰かといる時はそうでもないけれど、ふと一人になった時に思い出され、悩んでしまうのです。その悩みは深くなると思い煩いになります。思い煩いが足かせ、手かせのように身動きがとれないように縛ってしまうのです。

聖書にある悩み

聖書にはこういった悩みの答えがあります。なぜなら、聖書に登場する人物の多くが僕たちと同じように悩み苦しみ、思い煩ったからです。そして、思い煩い、力尽きて、絶望していったのではなく、神によって助けを得て、希望の光をもって生きたことが書かれています。

神への讃歌、神への内心の告白を多く残したダビデの詩には悩みという言葉がたくさんでてきます。ダビデは神を「避け所」、「力」と言っています。(詩篇46:1)今は巨大台風が日本列島に近づいていますが、避け所とは、まさに災害から逃れるためのシェルターのようなものです。人生や自分の心に巻き起こってくる混乱の嵐、自分自身の存在を揺り動かすような巨大地震から逃れうるシェルターは神にあるというのです。

もし駆け込んだシェルターに水も食料も電気も無ければ、そこで力尽きでしまうでしょう。しかし、神は力でもあります。そこで神は人を再び立ち上がらせることがおできになります。

悩みをもっていくところ

先程の詩篇には続きがあります。

「悩める時のいと近き助けである。(詩篇46:1)」

神は悩みの時に助けてくださるお方で、さらに僕たちとはほど遠い天高いところに座しておられるのではなくて、非常に近き存在であるとも書かれています。聖書が言っているように、主は僕たちの中に来てくださるお方です。それはイエス様が汚い、暗い、臭い馬小屋でお生まれたになったことにあらわされています。まだ罪人であった時にイエス様は十字架にかかってくださったのです。

もし、イエス様に駆け込むなら、求めるなら、悩みは過ぎ去り、明日に向かって生きる力が与えられると信じます。イエス様はこのようにおっしゃいました。

これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。
ヨハネ16:33

世の力に勝つなんて、無理無理、綺麗事と片付けずに、何度でも主にあって世に既に勝っていると宣言したいです。

おっさん
■悩みの時は主に近づく時

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