0669_無意識的有能と無意識的愛

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無意識的有能

「無意識的有能」という言葉があります。意識しなくてもできている(能力がある)状態のことです。何もすごいことではなくて、誰でも無意識的有能を持っています。例えば、車の運転を習得する時を見てみましょう。

最初車を動かす時は下記手順を覚えなければなりません。

  1. 最初に座席の幅を合わせる
  2. シートベルトを締める
  3. ブレーキを踏む
  4. エンジンをかける
  5. ドライブに入れる
  6. サイドブレーキを外す
  7. ブレーキを緩めていく

最初は上記を意識しながら対応しますが、数をこなしてくうちに意識をしなくても車を運転することができるようになります。その状態が無意識的有能になります。

無意識的愛

無意識的有能と同じように、クリスチャンが目指すべきは無意識的愛だと思います。最初は聖書の言葉を読んで、求められる基準を知ります。主が自分に語っておられることを知ります。そして、そのことを心に留めて主により頼んで、聖書が求めていることを実践しようとします。

しかし、最初はきっとうまくいかないと思います。実践しようとしても罪に負けてしまったり、恐れがきたりして実行できないのです。そもそも、語られている御言をわすれてしまうことすらあります。しかし、繰り返し聖書を読み、また聖書の御言を覚えて、自分の体に編み込んでいくことで、意識的愛ができるようになってきます。

そして意識的愛を実行していくと、それがいずれ、無意識的愛になっていきます。クリスチャン生活とはその繰り返しだと思います。

主を愛するとはその戒めを守ること

周りには多くの無意識的愛を実践できている人がいます。主の愛で人々を愛している人がいます。過酷な刺激が外部からやってきても、本能的な反応をせずに愛の反応を自然体でできる人もいます。そういった先輩クリスチャンのようになるのは自分には無理だと思うかもしれません。

しかし、御言をきくところからスタートして、御言を身体に刷り込んで、編み込んで、打ち込んで、実践するしかありません。実践する中で、失敗したりしながらも意識的愛の打率を上げることができれば、無意識的愛に近づくことができます。

きっと主はその取り組む態度を喜んでくださって必要な力を与えてくださると信じます。なぜなら、主を愛するとはその戒めを守ることだからです。聖書の御言を実践したいと願う者に必ず力を与えてくださると思います。

おっさん
■クリスチャンは無意識的愛を求めている

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