0395_心に平安がないなら…

Youtubeの説教

ある海外の教会のYoutubeの説教を観ていたら、こんなこんな感じのことを言っていました。それはマタイによる福音書の6章でイエス様が弟子たちに教えられた下記祈りに関するものでした。

だから、あなたがたはこう祈りなさい、
〜省略〜
わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。

〜省略〜
マタイによる福音書6:9-14

イエス様が既に十字架で私達の罪を赦してくださっている以上、「私達が誰かを赦すからその見返りとして神様赦されるものではない」というもので、今の時代ではこの祈りは無効になっているという解釈でした。

借金を赦された人

本当にそうでしょうか。別の箇所(マタイによる福音書18:23~25)でイエス様は負債を赦された2名のたとえ話をされています。Aさんが1万タラント(約1兆円)の借金を王様に帳消しにしてもらったにもかかわらず、AさんはBさんに貸している100デナリ(約100万円)を取り立て、返せなかったので借金を返すまで牢にぶちこんだそうです。

Aさんは1兆円という途方も無い借金を帳消しにしてもらったにもかかわらず、自分からのBさんに対する貸し100万円は帳消しにすることができなかったのです。途方も無い借金は私達が神様に赦していただいた罪です。誰にもなすことができなかった罪の赦しの恵みにあずかっていながら、他の人のわずかなことをゆるせなくなるというのは一見ありえないようにも思えます。

しかし、情けないながら、僕自身は他人の小さなことが目に留まったり、ゆるせていると思っていても、実はゆるせておらず、それに縛られてしまっているということが割とあります。

再び獄へ

Aさんの結末は、こういうものでした。

わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。 そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。 あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう」。
マタイによる福音書18:33-35

王様はAさんの負債帳消しをなかったことにし、牢に入れてしまったのです。つまり、再び罪に引き渡されてしまったのです。

毎日祈っていても、聖書を読んでいても、心に平安が来ないことがあります。そして、どれだけ祈っていても、祈れていると思っていても、些細なことで腹が立ってしまったり、他人の小さなことに目を留めてしまっているのです。だから、イエス様はこのように教えてくださいました。それは二度と罪の奴隷のくびきに繋がれないようにするためです。

だから、あなたがたはこう祈りなさい、
〜省略〜
わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。
〜省略〜
もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。 6:15もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。
マタイによる福音書6:9-14

おっさん
■心に平安がないならば、もしかしたら、ゆるせていない人がいるのかもしれない
■イエス様の教えのようにその人をゆるす決意をして祈るならば、主は再び赦されている平安を与えてくださるだろう

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