何度読んでも教えられる
聖書は何度読んでも教えられることがあるというのは本当にそうだと思います。それは、まず各人生のステージにおいて必要とする教えが違うことがあるかもしれません。学生には学生の、社会人には社会人の必要とするものがあります。
また子供には子供の、親には親の必要とするものがあります。それぞれのステージに合わせて主がねんごろに御言を通して語って教えてくださるのです。
聖霊が教えてくださる
また、何度読んでも教えられることがあるもう一つの理由は、聖霊が助けてくださるからです。主はその時々の段階に応じて御言を通して語って教えてくださるのです。それは聖霊の働きにほかなりません。聖書にはこのように書かれています。
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。
ヨハネ14:26
けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。
ヨハネ16:13
苦難を通して精錬される
クリスチャンには霊的な成長段階があります。悔い改め、罪の赦し、聖霊に満たさること、霊的に生まれ変わること、そして、主のしもべとして主の働きに積極的に参加していくこと。また、様々な苦難を通して自分に死ぬことを学び、主の前に徹底的にへりくだる姿勢などは段階的に主と共に学んでいきます。
いくら救われたからとしても「オレガオレガ」の人を主は用いることはできません。それは決して主が用いたくないのではなくてその人のために用いられないです。なぜなら、用いたらその人は高慢になるかもしれないからです。僕がまさにその道を通ってきてしまいました。
だから主はまず苦難などを通して、主の前にへりくだることに導いてくださることが多いです。
必ず成長する
日々、聖書に導かれ御霊に導かれて生きると必ず霊的に成長します。それは、もしかしたらしるしや不思議や癒しが行える超自然的な働きができるようなものではないかもしれません。しかし、成長する中で、主に仕えるということがどういうことなのか?どういった霊的な姿勢で主に仕えればいいのか?などがわかるようになってきます。
僕はまだまだ自分が強いので本当に祈らないと何もできません。しかし、主に喜んでいただける働きができるように、また働きが拡大するように願って願っています。