0396_朝起きると、死んだ魚のような目をしている

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聖日のありがたさ

最近、仕事ではかなりきつめのスケジュールの案件があって、頭がそのことで占有されてしまっています。さらに、プライベートでも未知の領域に入りつつあるので、それに対する漠然としした不安があり、朝起きると、死んだ魚のような目をしてしまっています。仕事の前には聖書を読むようにしていますが、頭の中は仕事のことで、最近は字面だけ追っているような読み方になっていました。

幸い、日曜日は神様との時間が天引きされているので、他の事を考えずに神様に集中できます。さらに、整えられた魂の状態で、聖書も読めるので、霊的なパンを取りこぼさずにしっかり味わうことができます。やっぱり日曜日は何にも変えられない最も大切な時間だと実感しました。もし、日曜日が聖日ではなかったら、忙しさのあまり仕事ばっかりしてしまっていると思います。

祈りで始まる一日

一週間のはじめは日曜日なので、魂が恵まれた状態で一週間をスタートすることができます。今朝は、字面だけ追うような読み方をせずに、声を出して読み、そのあとにしっかり祈る時間をもちました。家族や職場の人のため、友人・知人、教会の人のために祈りました。そして、力に満たされて、バリバリと仕事ができたか?と言われると別にそうでもないのですが、比較的平安な心で仕事をすることができました。

仕事が終わった後はランニングには行けないので、部屋に籠もってダンベルを持ち上げて筋トレをします。トレーニングをするとマインドが自分自身に向きます。否応なしに自分の身体の限界との戦いになり、自分との対話が始まります。心に余裕がない時は、Youtubeやテレビを見て一時的に余裕のなさから逃れるのではなくて、向き合うに限ります。

祈りで終わる一日

トレーニングの後は、お風呂に入って、祈ります。これは魂を主に向けることです。静かに祈ったり、声を出したり、聖書の言葉をそらんじたりしながら、神様に集中します。改めて自分には何の価値がないという認識が明確になり、主なしでは生きてはいけないと思いました。そして、自分の無価値に対して、主の語りかけは、「つらさを知っているよ」というものでした。

日々生活をしていると、すぐに高慢になり、自分自身の力で生きていると錯覚してしまいます。しかし、神の前に人間は無価値であり、虫けら土くずににすぎないのです。そんなものに対してもイエス様は、この一人の魂を妬むほどに愛してくださっているのです。すべてが何を意味しているか、分からずに言っているのかもしれませんが、この方にすべてを捧げて従って行きたいと改めて思いました。

おっさん
■主はつらさを知ってくださっている。

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