0274_「近くにお越しの際は、お立ち寄りください」を真に受ける人

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本音と建前

僕は人の感情や空気を読み取ったりする能力が著しく低いため、KY的な発言をしたり、意図なく相手を怒らせてしまっているということが、少なくありませんでした。日本人特有の本音と建前の建前ができない場合、生きづらくなるのは間違いないでしょう。

前職で営業をしていた時、社内の営業マン同士で、陰での罵り合いが常態化されていたので、人間不信に陥りそうになりました。7つの習慣にもありますが、その場にいない人に対して誠実になるということがどれだけ大切かを思い知りました。僕の周りにいた営業マンもきっと、僕がいないところでは、僕のことをボロカスに言っていたのだと思います。

本音だけ

そういった本音と建前の社会に辟易してしまって、中国の文化に惹かれていった側面もあるのかもしれません。中国では、陰でぐちぐち、顔は笑顔だけど心のなかでは何を思っているかわからないような関係はありません。みんなわかりやすいくらい顔に出るのです。

ぶつかる時はとことんぶつかります。そんなことゆっていいの?と思うほど、切り込んむような発言もあり、罵声が飛び交い、髪の毛の引っ張り合いやしばき合いなどを見ました。ただし、お互い言いたいことを言うとすっきりして、また仲直りという場合が多かったように思います。

高度なコミュニケーション

日本人のコミュニケーションには、文脈を読む、行間を読む、相手の真意を読むなどの高度なコミュニケーション力が必要なように思います。個人的にはなぜ思ってもいないことを言うのだろう、書くのだろうと思ってしまいます。例えば、引っ越しの挨拶のはがきなどに、「近くにお越しの際は、お立ち寄りください」というような文言が定文化されていますが、本当に立ち寄られたら相当迷惑なはずなのに、なぜ、心に思っていないことを書くのだろうと思ってしまいます。それなら、「事前にご連絡いただけましたら、都合をつけますので、ぜひお越しください。」のほうがいいと思います。

定型文の意味

ただ、個人的に、最近変化があったのは、「言葉により気持ちが動かされ、そして現実になる」ということでした。例えば、年賀状などで、「またお会いできるのを楽しみにしています。」という定型文があります。

僕みたいな人格的に欠陥のあるひねくれた人間がこういった文章を見ると、そもそも本当に会いたければアポを取るだろうし、そこまでして会いたい気持ちはないのに、なぜこんなことを書くのだろうと思ってしまいます。

しかし、自分でこの文章を書いてみると、自然とそのメッセージを書く相手の顔が思い、再会している情景が浮かんだのです。そしてその情景には実際に楽しみにしていた感情が溢れており、気持ちに大きな変化が訪れたのです。つまり、言葉により感情が書き換えられ、本当に会いたくなったということです。だから、日本特有の様々な定型文はそういった効能があるんだと35歳になって初めて気づきました。

良質な、思いやりのある定型文をひねた目で見ずに自分自身もしっかり活用していこうと思いました。