0073_ポストアポカリプス的な世界でも神の恵みは溢れる

先日、事情により「Fallout76」というゲームをプレイしました。ポストアポカリプス的な世界観のゲームです。身近な作品で言えば、アニメの「北斗の拳」や映画の「MADMAX」のような世界観です。アメリカドラマのウォーキング・デッドやバイオハザードの世界観にも似ています。

主人公は核戦争後の世紀末的な世界を舞台で生き残らなければなりません。町にいるごろつきや放射能により発生した異生物との戦闘もある緊張感のあるゲームです。自由度が非常に高く、現実的な要素が強く没頭性の高いゲームです。

マップ移動で行ったことのない町へ行く道中は緊張と恐怖で満たされます。なぜなら、放射線の危険が身近にあるのはもちろんのこと、野犬が急に襲ってきたり、見知らぬプレイヤーが攻撃してきたりするからです。

さらに、主人公は飢えたり乾いたりもしますので、そこにも気を配らなければなりません。飢えた場合、食料を探すか、もしくは動物を狩猟し、木材で火を起こして調理しなければなりません。水も沸騰させた水を飲んだりしないと病気になります。また、身を守るための武器も鉄材やネジなどを集めて作製しなければ基本的には手に入りません。しかもその武器も使ってくると壊れるのです。

綺麗なグラフィックで見事に世界観を再現しており、本当によくできたゲームだと関心する一方で、どれだけ緊張感があってもゲームには変わりはないので、リセットができてしまいます。暴漢に襲われて殺されてしまってもリボーン(復活)できるので、再度ゲームを楽しむことができます。

どれだけ、グラフィックが素晴らしくても、ゲームシステムがリアルであっても、リアルの緊張と恐怖にはかないません。リアルは一発勝負だからです。

最近、個人的なこととして、新しい業務が始まるので、内心うまくできるかどうか不安でした。アウトプットの質が悪ければ、評価が下がるかもしれませんし、期待に答えられない場合は、相手を失望させるかもしれません。そういった不安がある中で、神様に頼るしかありませんでした。

仕事はチームワークで進めますが、自分の持ち分は自分との戦いです。気力や知識が必要なのはもちろんのこと、外部からの刺激に対してどのような反応を取るかなど全人格的な対応が求められます。みんな自分との戦いです。もしかしたら、ある人はチート(ずる)だと言うかもしれませんが、僕は神様に頼り続けます。

新しいことをする時は不安になります。でも、一歩踏み出す時、神様に頼る時、必ず、助けてくださいます。ここ数週間頭の中で流れている聖歌があります。

新聖歌345「沖へいでよ」

父なる神の恵みは
限りなき海ぞ

纜(ともづな)をときて沖へ
漕ぎい出てみよや

沖へいでよ
岸を離れ
主の恵みの直中へ
いざ漕ぎいでよ

一発勝負の世界でも神様の恵みにしがみついて、沖へ出る時に必ず、助けてくださり、さらなる恵みの中へと導いてくださると信じます。

われらは主の聖なるみ名に信頼するがゆえに、
われらの心は主にあって喜ぶ。
詩篇33:21(口語訳)