Contents
クリスチャン同士の結婚式
先日、高校時代の友人であり、クリスチャンの友でもある同世代の友達の結婚式に参加しました。式、披露宴ともに会場は結婚式場だったのですが、式から披露宴まで終始イエス・キリストがおられることを感じることができるとても恵まれた時間を過ごすことができました。
結婚式というだけで喜びに満ちたものですが、そこにイエス・キリストがおられるなら、なおのこと祝福に満ちた素晴らしい時になるに決まっています。複数の教会が関係者になっていることもあり、多くの牧師先生や兄弟姉妹の祝辞や挨拶があったのですが、すべてに聖書の御言があり、祝福と恵みに満ちていたのです。
クリスチャンの結婚事情
今はクリスチャンの結婚といっても様々なパターンがあります。昔、団塊の世代や団塊ジュニアが教会で救われた時代は教勢も伸びていて、信徒数も多く教会内や同じ教団内で結婚する場合が多かったと思います。
それが今では少子高齢化のため教会内で結婚相手を見つけることが非常に難しくなっています。むしろ、新陳代謝がなされていない教会である場合、メンバーが固定的になってしまうので、そもそも、同世代を結婚相手として見れないという状況も見聞きします。また、同じ教団内であっても、お互いを知るすべがないということも聞きます。
ネットで探す
という事情もあり、最近はネットを活用したクリスチャンの婚活が盛んになっているようです。今回結婚した友人もキリスト教関係のネットの紹介で出会ったそうです。周りにも同じようにネットで出会って結婚した人が複数います。
ネットで紹介してもらう場合も様々な問題があります。まずは、クリスチャンであることが前提であっても、教会のカルチャーがフィットするか?どっちの教会に行くか?仕事をどうするのか?などの課題があります。
さらに、結婚することが決まったとしても、どこで婚約式をして結婚式をして誰に司式をしてもらうのか?など世俗の結婚式にはない課題が割と多くあります。
御言と献身の心
時々、「もうこの際、クリスチャンだったら誰でもいい」というような極端な声も聞くことがあります。しかし、当たり前ですが、クリスチャンであれば誰でもいいわけがなく、まずは人として合うかどうかが絶対的に重要です。なぜなら、結婚はゴールではなく、スタートなので、この先40年、50年を共に歩めると思える人でないといけません。
最後に、個人的には祈って御心と「思ったから」結婚に進んでいいわけではありません。なぜなら、その時の気持ちは必ず変わるからです。個人的には御言が与えられないと進んではいけないと思っています。さらに祈る中で、たとえその人と結婚したいと思っていていも、主が止めるならば、諦められるという主への献身です。その気持があればその結婚は絶対に祝福されると思います。