ゲームや映画で以前からよくある定番設定に「荒廃した世界」ものがあります。例えば、シンギュラリティによりAIの智能が人間の智能を超えて、機械が人間に対して反旗の狼煙をあげるものだと、「ターミネーター」シリーズがあります。ウイルスなどの原因により人間がゾンビ化してしまってゾンビが人間を襲うものだと「バイオハザード」や「ウォーキング・デッド」などがあります。あるいは、核戦争が勃発し人と人が殺し合うものだと「マッドマックス」や「フォールアウト」などがあります。
現実に起こり得そうだけど現実離れした世界で、極限に追い込まれた限られた資源の中で、主人公がどのように生き抜いていくかが人を惹きつけるのかもしれません。映画やゲームで描かれる荒廃した世界観は世紀末や終末世界や末日世界といった、いわゆる、「世の終わり」を彷彿させるもののようです。
それゆえ、人間が終末が近いのではないかと不安に思う時、例えば、世界大戦や大地震や疫病の蔓延などの時に終末思想の強い新興宗教が多く生まれてきたようです。
聖書においては、終末論には様々な解釈があるようです。世の終わりの苦しみが来る前にクリスチャンが天に上げられる艱難前携挙説とか、その逆の艱難後携挙説など様々な論争があるようです。
イエス・キリストは、世の終わりとイエス・キリストが再び地上に来られる再臨とを分けて話をされていました。
世の終わりについては、前兆に戦争や地震、偽キリストの出現があるようです。そして、御国の福音が全世界に伝えられてから最後が来ると記載されています。一方でキリストの再臨については、このように記載されています。
その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。
マタイ24:36-39(口語訳)
イエス・キリストが来られる時の世界の状況はノアの洪水の時と同じようです。人々は飲食を楽しみ、婚活をして結婚をしていました。つまり、普通の生活をしていた時に、突如として洪水が襲ってきたのです。キリストが現れるのもこれと同じようです。これらの情景は現在の私達が送っている生活と何も変わりません。
「彼らは気づかなかった」とならないように、平時のときでも気をゆるめることなく、キリストの再臨を待ち望む日々を送りたいと思いました。なぜなら、この世では寄留者であり、旅人であるからです。
愛する者たちよ。あなたがたに勧める。あなたがたは、この世の旅人であり寄留者であるから、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。
ペテロⅠ2:11(口語訳)