1447_「中国語の部屋」という思考実験を内住のキリストに当てはめて考えてみた

イエス様のご性質に僕もあずかれる

クリスチャンは信仰生活の中で確かに今も生きておられるイエス様が共にいてくださっていることを様々な経験を通して体験します。聖書を読んでいて御言に励まされたり、歩むべき道が示されたり、危険から守られたり色々あると思います。その中でも僕が最も素晴らしい経験だと思うことがあります。それは、イエス様が共にいてくださることによってイエス様のご性質に僕もあずかれるということです。

このことは刺激に対してどのように反応するか?という状況において明らかになります。たとえば、イエス様がいなければ間違いなくこういった反応をしていたと思うが、イエス様が共にいてくださったので、イエス様のご性質に即した反応ができたという経験です。

僕は土の器にすぎない

もう少し詳しく書いてみます。僕は人格、資質、性格いずれも著しい欠陥があり、一言で言えば激昂型の人間です。かっとなりやすく、刺激に対してとんでもない反応をする人間です。僕はそれをよく知っています。しかし、イエス様により頼み、イエス様が共にいてくださることで、僕だったら間違いなく激昂していただろうという状況で、キリストの寛容を示すことができたということがあります。これが冒頭で述べたイエス様のご性質に与らせて頂く経験です。

そもそも、罪深く、ちりに過ぎない人間であるにもかかわらず尊いイエス様のご性質を体験させて頂くこと自体が畏れ多く感じるのです。

これは決して僕個人の考えではなくて、聖書にもはっきり書かれています。

しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。
コリント人への第二の手紙 4:7

どこまでいっても僕は土の器にすぎません。すごいのはキリストという宝です。コンビニでもらう袋に金貨が入っている場合、すごいのは金貨であってコンビニでもらう袋にほぼ価値はありません

中国語の部屋という思考実験

実はこういった考え方はAI分野にもあります。それはAIは中国語の部屋という思考実験です。

中国語の部屋(Chinese Room)とは、哲学者ジョン・サールが提唱した思考実験で、人工知能の本質を考えるためのものです。この実験では、中国語を理解しない人が部屋の中でマニュアルに従い、適切な中国語の応答を作成します。外部から見ると会話が成立しているように見えますが、実際には中の人は意味を理解していません。これにより、コンピュータが言語を処理できても「理解」しているとは限らないという議論を提示し、機械の知能や意識の本質についての考察を促しました。
Chat-GTPによる解説

僕はこう考えました。外からみれば「この人すごい」と思われるかもしれません。(中国語の部屋の場合は中国語がわかる!と思われる)
しかし、実態は「中にいる人がすごい」だけなのです。(この人自体は中国語を理解していない)

だから、やはりどこまでいってもこの聖書の言にいきつくのだと思います。

「誇る者は主を誇れ」

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