0104_目標設定と神の約束(幻、ビジョン)

よくビジネス書などで手帳や日記、またはメモの効能のことを詳説したものがあります。思いついたアイディアはすぐに書とめないと揮発してしまうので、文字として残しておくことで、あとから思索を深めたり、アイディア同士を掛け算できます。

そのほかにも書いたことは必ず実現するといったものも多いです。GMOインターネットの熊谷正寿さんは「一冊の手帳で夢は必ずかなう – なりたい自分になるシンプルな方法」という書籍を出しており、35歳の時に株式公開すると手帳に書いたそうですが、36歳の時に実現しています。

僕も5年ほど前から日記・手帳習慣を導入しましたが、確かに書いたことはほとんど実現しています。こういうふうに書くと自己啓発的な印象が強くなりますが、人は往々にして目標をたてない限りは、決してそこに向かおうとしないものです。

自分で決めるものは目標設定という表現になりますが、聖書的には神様が個人に示す幻、またはビジョンという言い方になります。例えば、聖書に出てくるアブラハムは、75歳の時に住み慣れた故郷を離れる決意をしました。そして、神様はアブラハムに、「神様から大いなる国民とする。祝福の基となる。子孫を増し加える」などのビジョンを与えました。

しかし、これほど荒唐無稽なビジョンはありません。なぜなら、アブラハムとその妻サラは高齢でありながら、子供がいなかったからです。しかし、アブラハムはこのような行動をとります。

時に主はアブラムに現れて言われた、「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」。アブラムは彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。
創世記12:7(創世記)

絶対あり得ないだろう!荒唐無稽すぎるだろう!という神の約束の宣言に対して、彼は少しも反論することもなく、黙々と粛々と主のために祭壇を築きました。そして、それからのちに、実際にアブラハムとサラに子供が与えられ、子孫は増え広がりました。そして、彼の「信じることによって、義とされる」信仰の基は、今生きているクリスチャンの基ともなっています。

そして主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」。また彼に言われた、「あなたの子孫はあのようになるでしょう」。アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。
創世記15:5-6(口語訳)

イエス・キリストにあって、創造主の良い作品である以上、作品一つひとつには必ず、神様が望んでおられる使われ方があり、適切な場所があるはずです。イエス・キリストにあって、罪がゆるされて、聖霊によって力をいただきつつ、置かれているところで神様の栄光が現されますように。