3密という言葉もすっかり日常に定着して、そういった場面に遭遇すると3密という言葉が自然と想起されるようになりました。コロナ禍における意味合いは下記のとおりです。
感染症の蔓延を防ぐために、人々が避けるべき3つの行動。
- 換気の悪い密閉空間に居ること
- 多くの人が密集する場所に居ること
- 近距離での密接した会話をすること
令和2年(2020)、COVID-19流行の際に東京都が提唱した。
しかし、元は密教において、下記を意味する用語だったようです。
密教で、身・口 (く) 意の三業 (さんごう)
- 手に印を結ぶ身密
- 口に真言を唱える口密 (くみつ)
- 心に本尊を観念する意密
今では、3密といえば、前者の意味で理解する人がほとんどだと思います。
今朝読んだ東洋経済オンラインにも違う意味の3密が書かれていました。どうも在宅ワーク環境における上司の部下に対する行動を3密という言葉で表しているそうです。
オンライン上の「3密」とは、
- 上司が仕事について密に説明を求める「密説」
- 上司がリモート上でも密に監視する「密視」
- 上司が密に会議招集する「密会」
というオンラインマネジメントにおける3つの密を指します。
クリスチャンの3密も色々と考えられそうです。
- イエス・キリストの名によって密に祈る「密祈」
- 主に栄光を密に賛美する「密賛」
- 聖書の密に読む「密読」
他にも密に救いの証をする「密証」など色々考えられそうです。聖書に詩篇やパウロの手紙には「密」に関する記述が確かにあります。
このような人は主のおきてをよろこび、
昼も夜もそのおきてを思う。
詩篇1:2(口語訳)
密に主の御言を思う「密思」。
または、このような記述もあります。
ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。
テモテⅡ2:8(口語訳)
密にイエス・キリストのことを思う「密思」。
日常生活を送る中で、様々なものに認知を奪われてしまう中で神様が求めているのは、聖書に親しみ思い、イエス・キリストの十字架に感謝し思うことなのかもしれません。
まとめると、コロナ禍の3密には気をつけ、密教の3密には気に留めず、オンラインの3密には巻き込まれないようにし、クリスチャンの3密は積極的に思うようにする。