1120_「家族サービス」という言葉は昭和的価値観の名残か?

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家族サービス

もう今は死語かもしれませんが、その昔「家族サービス」という言葉がありました。GPT-4に聞くとこのような回答が返ってきました。

日本の文化や社会において「家族サービス」は、仕事が忙しい親が休日を利用して家族と過ごす時間や活動を指すこともあります。この場合、家族との絆を重視し、家族間のコミュニケーションや関係性の向上を目的とした行動や努力を意味することが多いです。

GPT-4の回答は中立的ですが、僕の理解ではこの言葉のニュアンスはもっとネガティブです。それは「忙しいお父さんが自分のしたいことを犠牲にして、家族のためにサービスする」というニュアンスです。

家族に対する役務?

ずっと疑問がありました。なぜ家族と一緒に過ごすことが、お父さんにとってサービスすることになるのでしょうか?漢字で書けばもっとニュアンスが明らかになります。お父さんがなぜ家族に役務をすることになるのでしょうか?

家族と過ごすことを役務と思っている時点で昭和的価値観の現れだと思います。僕なんかは社会不適合者で人格もやばいので、逆に休日に一緒に過ごしてくれる家族がいるだけ感謝だとさえ思っています。

家族と一緒に過ごすこと

子どもと二人っきりで過ごすのも、買い物に一緒に行くのも、どこかへ出かけるのも、本当に一緒にいてくれてありがとうと思います。また僕なんかは暇な時間があるとろくな時間の使い方をしないのでできる家事があることを嬉しくおもっています。

掃除や洗濯や洗い物などの家事があることで、時間を無駄に使うことがなく、かつ家族のためになるので一石二鳥だと思います。

誰に役務をするか

もしかしたら、「それは今の自分に余裕があるからだろ!」という声も聞こえてきそうです。僕はそれを認めます。自分に余裕がないとなかなかそういったことはできないものです。自分に余裕がなくなってしまった時にそういった振る舞いができなくなる可能性があることを僕は知っています。

しかし、心に余裕の有無は僕の忙しさのいかんに依存しません。なぜなら、心の余裕は主が共にいて下さる時に生まれるからです。最初にも書いたように、僕は何歳になっても、社会不適合者で人格もずっと底辺です。しかし、主が共にいてくださるから今を過ごせています。だからこそ、イエス様にサービスする(仕える)者となりたいです。

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