0698_武藤敬司が引退

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平成の終わり

今日は僕の中で観念的に存在していた「平成」がようやく終わりを告げました。それは本日をもってプロレスラー「武藤敬司」の引退したからです。武藤敬司といえば僕より上の世代の人から見れば、昭和プロレスを牽引してきたレジェンド的な存在です。僕がプロレスにハマり始めた中学一年生の頃(1998年)はやや絶頂期からずれるのですが、それでも武藤敬司のプロレスに夢中になりました。

当時は夜中の3時頃にテレビ放送をしていたので、毎週VHSに録画して観ていました。お小遣いが少ない中学生だったので、毎週発行される週間プロレスを買うことができないので、お金をキープしておいて、ここぞという刊だけ買っていたのを覚えています。

プロレスはエンターテイメント

プロレスは好きな人は好きになりますが、そうじゃない人にとっては「八百長」という一言で片付けられがちです。ただし、実際はかなり奥が深い「エンターテイメント」です。ですので、プロレスのターゲット層は、真剣勝負の格闘技が観たい人ではなく、エンターテイメントを観たい人です。

お笑い芸人にプロレス好きが多いのは偶然じゃないと思います。いずれも観客を笑わせたり、喜ばせたり、興奮させたりするためにするのです。お笑いにその場の空気に合わせてアドリブや即興が入ったりするように、プロレスにおいても、観客の反応次第で試合運びが変わります。

プロレスの魅力

非常に残念なことを言うと、プロレスは試合前に勝敗が決まっています。それをブックといいます。試合直後の絡みのところとかある程度、練習しているところもあるでしょう。しかし、試合運びは観客の反応次第で変わるので、そこが「プロ」のレスラーの見せ所になります。

だから、観客の空気が読めないプロレスラーはいないと思います。みんな頑強で屈強な体をもっているので、ただの体のぶつかり合いのように見えますが、かなり頭脳戦をしているのです。さらに言えば、プロレス団体として、どちらに勝たしたいのか?などを予測したりしてみるとさらにおもしろくなります。

とにかく、武藤敬司は、プロレスラーが備えているべき素質以上のものをもっており、多くのファンを魅了する天才のプロレスラーでした。

自分にとって

37歳の僕がこういうことを書くと恥ずかしいのですが、僕が中学生の時は本気でプロレスラーから元気をもらっていましたし、生きる力をさえもらっていたように思います。もし、自分の身長がもっと高ければプロレスラーになりたいとも思っていたくらいです。今、僕はプロレスラーじゃないですが、今与えられている仕事や教会の奉仕などをレスラーの精神でやりたいと思いました。

おっさん

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