1393_二方面からゴリゴリと霊的活力を削られる

年始早々

今年は年始早々心身ともに大きな圧力を受けることになりました。精神面では新規大型案件の重圧、身体ではインフルエンザに罹患、二方面からゴリゴリと霊的活力を削られるというような状況でした。インフルエンザ自体は高熱で苦しいくらいなので、なんとでもなりますが一番つらいのは、薬のせいかやる気というやる気をすべて削がれるということです。

昨年も同じような状況に直面に恐怖をおぼえていました。

1265_倦怠感からくる「やる気」の喪失が怖い

え、自分の姿ってこんなんだったの!?

今回も「え、自分の姿ってこんなんだったの!?」と驚嘆させられるほどの見苦しい内面が顕わになりました。倦怠感からやる気が喪失するので仕事にも身が入らないし、なぜかわからないけれどすべてがいやになってしまいました。

嫁さんに「もう生きる気力もないわ」とぼそっと言いました。何かしらの慰めの言葉か何かあるだろうと思っていたら「それってクリスチャンとしてどうなん!?」と正論を言われて、確かにそうだと思いました。

主に対する飢え乾き

僕を弱らせるような様々な声も自分の中から聞こえてきました。たとえば、「これまでの自分の選択が間違っていたからこうなったのだ」とか「過去の罪が尾を引いてる」とか、今現在の自分にはどうすることもできないことで追いつめられました。

こうなると最後の手段は祈りしかありません。むしろ、これは祈らないとどんどん落ちていくと思いました。僕はしんどいから助けてほしいというよりも「主に対する飢え乾き」が祈りへと向かわせました。

主の語り掛け

1回目の祈りの時はこの御言がおりてきました。

わたしは一つの事を主に願った、わたしはそれを求める。わたしの生きるかぎり、主の家に住んで、主のうるわしきを見、その宮で尋ねきわめることを。それは主が悩みの日に、その仮屋のうちにわたしを潜ませ、その幕屋の奥にわたしを隠し、岩の上にわたしを高く置かれるからである。今わたしのこうべはわたしをめぐる敵の上に高くあげられる。それゆえ、わたしは主の幕屋で/喜びの声をあげて、いけにえをささげ、歌って、主をほめたたえるであろう。
詩篇27:4-6

この御言で少し心が落ち着きました。それは僕の心からの渇望はこの御言のとおりだと思えたからです。主を求めて尋ねきわめることが内なる自分が求めていることでした。2回目の祈りはお風呂場で御言の本を持ち込んで1時間ほど祈りました。3回目の祈りも同じ。4回目の祈りの時は自身の部屋に閉じこもって祈りました。それから主の語り掛けを感じました。

1394_あなたは悔い改めから一歩踏み出しなさい

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