霊的な戦い
最近、自身が常に霊的な戦いの中にいると思わされています。霊的な戦いといっても、別に「悪霊をうせよ!」とか「霊的な鎖から今すぐ解き放たれよ!」とかいうようなものではありません。
ただ、二つの声のどちらに聞き従うか?の戦いです。僕の心の中には時にこのような声が聞こえてきます。それは「現状はこうだから無理だよ。」とか「これまでもそうだったからこれらも無理だよ。」といったものです。
また、非常に愚かな態度なのですが自分に問題を見出すのではなくて、「教会や他の兄弟姉妹がこうだから、これからもこうだ」というような心の声も聞こえてくることがあります。
見えているところで戦うなら
それは一見もっともらしい理由に思えることがあります。なぜなら、見えるところ、事実は確かに内なる声のとおりだからです。それを否定することはできないのです。また非常に合理的で理性で考えるなら否定のしようのない場合が多いです。
もし、信仰者が見えているところで戦うなら確実に負けてしまいます。それは敵の思うつぼです。見えるところ、事実べースの土俵はアウェーであり、敵の土俵です。そもそも、見えるところ、事実に対しは信仰は一切いりません。
一側面にすぎない
信仰者は見えるところが一側面にすぎないということを知っています。そして、戦いの土俵を見えないところにもっていきます。
コリント人への第二の手紙 4:18
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。
ヘブル人への手紙 12:2
信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。
霊的な戦いに勝利する秘訣とは見えるところによらず見えないお方に目を注ぐところにあります。その時に戦いは決まります。
すでに世に勝っている
なぜなら聖書にこうあるからです。
ヨハネによる福音書 16:33
これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。
信仰者であっても自分で霊的な戦いに勝つことはできません。既に世に勝っているイエス様に頼る者だけが勝利者となることができます。