ピリピ人への手紙
昨日は、「どのようにして神の愛から実生活への行動へ落とし込んでいけばいいのか?」という問いに対して一つ目のアプローチを書きました。今日は二つ目を書こうと思います。それはこの御言に集約されています。
最後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。
ピリピ人への手紙 4:8
ここにはどのようなものに心を留めるべきかが書かれています。まず「すべて」と書かれていますが、この「すべて」が指すものが信仰に限定された「すべて」なのか?あるいは、この世界における「すべて」なのか?を判断しなければなりません。
「すべて」とは?
この箇所における「すべて」に該当するギリシャ語は「ὅσα(hosa)」で、「~するものすべて」や「いかなるものも」という包括的な意味を持つようです。つまり、信仰の枠を超えて普遍的に認識される価値を含んでいることになります。これは原理原則と言われているものにも近いかもしれません。別にキリスト教ではなくても、真実や徳といったものは非常に大切にされています。
だからこそ、そういった原理原則的な聖書の価値観と沿った真実なこと、貴ぶべきこと、正しいこと、純真なこと、愛すべきこと、誉れあること、徳、称賛に値するものを心に留めなさいと言われたのだと思います。
良質な言葉
それを前提にした上で最初の問いに戻ります。もう一つのアプローチとは人間側がすることだと理解していて、それは良質な言葉(普遍的に認識される価値観)を集めて記録して見て反復するとうものです。言い換えれば心の留めるということになるかもしれません。これは何度も何度も言葉と向き合い反復することで自分の行動を制御、自制、躾けていくような過程です。
さらに誤解を恐れずに書きます。日本のクリスチャン人口は1%未満と言われて久しいですが、残りの99%の日本人はたとえ信仰を持っていなくても普遍的に認識される聖書の価値に沿った多くの言葉をもっておられて、それを実行されてる人が少なくないと思っています。
どんどん自分の中へ
あまりこういうことを書くとクリスチャンに誤解されやすいし、どうなのか?と思われる可能性もあると思うのですが、僕はたとえクリスチャンじゃなくてもそれがピリピ4章8節に合致するような良質の言葉であればどんどん自分の中に取り入れていきたいと思っています。